栃木市入舟町 清水橋

2683年 2月 28日 探訪

 此方は 【栃木市入舟町 御幸橋】 依り元縣廳堀を百六十米程北上した所に架る橋であります。

 正直、新しい共古い共云へ無い何共微妙な、多分ぱつと見には新しさうな橋でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 清水橋。

 橋臺側に親柱が有るのでは無く、高欄の端に其役目を擔つて貰つてゐる樣であります。
 県庁堀川。

 何と此方では川扱ひでありました。

 新字體でありますから戰後物でありますね。
 高欄は御影石造の、如何にも柵と云ふ意匠であります。

 實は元縣廳堀の南端の方には鶉橋と云ふ平成十年架設の橋が有るのでありますが、其方と同一の意匠でありますので、同時期に改修若くは架替られたと云ふ事でありますかね。

 では右岸側へ移動致します。
 表面に石を貼つた仕上は完全石造依りも堅實と云ふ事でせう。
 しみずばし。

 多分に平成の頃のアレでせうにアレに毒されて不居、ちやんと「ばし」と濁つてゐるのが好印象であります。
 けんちようぼりがわ。

 元縣廳堀で良かつた樣な氣が致します。
 横から見ました處、と云ふか、一體何に焦點が合つたのか謎の呆けた冩眞に成つて仕舞ましたが、不取敢牀版橋でありました。

 因に竣功年でありますが、栃木市橋梁點檢結果を見ますと昭和三年に成つて居りました。
が、一寸其姿で納得出來ませんでしたので航空冩眞も參考にしたのでありますが、成程、平成六年から平成十年の間に現在の姿に成つてゐる樣であります。
さう致しますと、令和二年の橋梁點檢結果で出てゐる竣功年度と合せて考へますと、戰前物件の改修及擴幅が成されて現在の姿に成つてゐるのだらうなと推察致しました。

 して、元の姿は親柱も高欄も無い、單に地覆のみの、如何にも用水の橋と云ひますか、農用道の橋と云ふ儘の姿が檢索結果で見られました。

 まあ、或る意味新しい橋として掲載し無いでも良かつたかも知れませんが、原型は一切見られませんが、不取敢戰前橋と云ふ事で記した次第であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る