2682年 1月 25日 探訪
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此方は
【小山市卒島-今里 中道橋】
依り二キロ七百米強程豐穗川を上つた所に架る橋であります。 其見た目から、何と無く昭和四十年代の橋かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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親柱は無く、高欄の柱に銘板が附てゐると云ふ、如何にも用水路に有勝ちな形態であります。 |
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はしもとはし。 中々に獨特な字體であります。 |
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何でせう、銘板の邊の混凝土が缺て居りますが、盜まうとして斷念したのでせうか。 |
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綾川。 此方豐穗川の筈でありますが、此方竣功當時は綾川と云ふ名稱だつたのでせうか。 まあ、此方豐穗川も栃木市側は未整備と云ふ感じでありますので、河川名が小山市とでは違つてゐたのかも知れません。 でありますので、河川名が豐穗川に統一されたとかの關係で銘板を外さうとして、否、行政でありましたら確實に撤去致しますよね。 と云ふ事は、矢張盜まうとされたと云ふ事でせうか。 |
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高欄は鐵管を二本使用しました意匠であります。 其にしましても柱が太いでありますね。 では右岸側へ移動致します。 |
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あやがわ。 成程、上流側は兩岸共に河川名表記でありますか。 |
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讀辛いので近接にて。 |
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橋本橋。 上から讀んでも、以下省略。呵呵 |
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唯、凄いのは上下の「橋」で字體を變へてゐるのであります。 |
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横から見ました處、此方は牀版橋でありました。 因に竣功年でありますが、栃木市橋梁長壽命化修繕計畫を見ました處、昭和四四年でありました。 鐵管二本の高欄は如何にも昭和四十年代的でありますが、柱の幅が廣いのは結構特徴的だなと思ひました。 中々に面白い物が見られて滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |