高根澤町伏久 名稱不明橋

2678年 1月 15日 探訪

 此方は、開通するとは露も思つてゐ無かつた 【高根澤町伏久 栃木縣道二二五號線未成部分】 の踏切から百五十米程東側、國鐵烏山線の傍を流れる用水に架る橋であります。

 まあ、御覽の樣に其方の縣道が開通した御蔭で廢止に成つた踏切を渡る道路の橋なのでありますが、此方も同時に供用廢止に成つた樣であります。

 まあさうでありますよね、普通車一臺分程度で行止りの部分を殘して措いても仕方が御坐いませんから。

 して、此方の物件でありますが、ぱつと見で結構な古物件だらうと思ひ觀察する事にしたのでありますが、其實如何でせうか。

 不取敢此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 期待はして居りませんでしたが、當然の樣に無記名であります。

 逆に、何かしら書いて有つた方が驚きと云ふ事に成る樣な感じでありますので、此程度の橋は昔から其處等中に在つたと云ふ事なのでせうね。
 同樣に無記名であります。

 控目乍もしつかりと笠石部分が作られてゐるのが素敵であります。
 高欄は 【今市市室瀬-吉澤 荒神橋】 に近い樣な、本當に欄干を柱で支へてゐると云ふだけの意匠であります。

 して、如何やら親柱は橋臺側には無く、高欄の柱が兼てゐる樣であります。

 又、上部が 【茂木町鮎田 鮎田橋】 の樣な丁寧な造形に成つてゐるのも特徴でせうか。

 此規模の橋にしましては凝つた造りでありますよね。

 では左岸側へ移動致します。
 當然の樣に無記名であります。

 して、良く見ますと表面は洗出仕上に成つてゐるのが素晴しいであります。

 可也手間掛て居りますよね。
 まあ、さうでありますね。
 中々に素敵な構造であります。

 下の土管も、何やら手荒く古さうであります。
 横から見ました處、之は牀版橋では無くT字桁でせうか。

 其にしましても橋臺の混凝土の打方が荒つぽく見えまして、丸で 【今市市室瀬-吉澤 荒神橋】 の橋臺に近い感じであります。
 何か一寸分り辛かつたので反對側からも見てみました。

 何か、色んな意味で凄いでありますよね。
相當に古い、先づ間違無く戰前物件の樣に思へます。

 して、多分T字桁だらうと思つて見てゐたのでありますが、何か樣子が違ふ樣に見え無くも無いであります。
 下に潛つて見ました處、T字桁かと思ひきや牀版橋だつたのであります。

 さう、此以來薄手の主桁を見ましたら、本當にT字桁なのか如何か疑ふ樣に成りました。
其共、元からの橋の上に無理矢理今の橋を載せたから斯う云ふ構造に成つてゐるのでせうか。
と云ひますか、正にさう云ふ感じでありますね。

 して、竣功年の考察でありますが、航空冩眞で見ますと、何と無く昭和廿四年と卅六年では幅員が違ふ樣に見え無くも無い感じでありますから、 若かしますと其間に現在の桁が載せられてゐるのかも知れません。
と成りますと、仕上具合の觀點から、多分昭和廿年代に現在の姿に成つたと見て間違無いのでは無いでせうか。

 で以て、一見T字に見えるのは其以前の舊橋なのでは無いかなと思ふのでありますが、如何でせうか。

 併しまあ、若かしますと撤去の憂目に逢つて仕舞かも知れ無い物件と思ひますと、さう成る前に見られて良かつたと思へる物件でありました。
又、斯う云ふ具合に、當然の樣に在る歴史的物件こそ橋探索の醍醐味だと個人的には思つて居ります。

 だつて、此處だけ川幅が廣い儘と云ふのも面白いぢや御坐いませんか。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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