鹽谷町舟生 土佐橋

2676年 3月 1日 探訪

 此方は 【山口上橋】 依り三キロ程下つて來た處、國道四六一號、通稱日光北街道の土佐川に架る橋であります。

 一見して今時の高欄でありますので、國道のバイパス開通後に架替られた物件だらうなと思つてゐたのでありますが、或る日自動車で通り乍、 此橋長なのに二徑間と云ふ事に舖裝の割目で氣附まして、之は多分に古い物件を改修しただけに違ひ無いと思ひまして、改てじつくり見ようと相成つた譯であります。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行きます。
 何と云ふ事でせう、銘板が消失して居ります。
之が單に消失したと云ふだけで、盜難被害では無い事を願ふ許であります。

 親柱は無いでありますが、如何見てもさうだつたと云ふ跡が分りますね。
 とさはし。

 然樣でありますか。
何か街道筋でありますのに、地名では無く河川名、但し川迄は入れずに命名と云ふのも面白いでありますね。

 では、右岸側へ移動致します。
 平成11年3月。

 さう、最初は此處と高欄だけを見て判斷してゐたのであります。
 土佐川。

 併し平成に入つてからの改修つて手荒く丁寧でありますね。
古い高欄の痕跡が露も殘つてゐ無いのでありますから。
 左岸側の横から見た姿であります。

 此桁、此橋脚の型枠の材木跡から、如何見ても平成十一年竣功の橋には見えません。
之は如何見ても戰前物件、新しくても昭和卅年代の物件の姿では無いかと思ふのであります。

 見辛いかも知れませんが、橋臺も流れに迫出して居りますし、何依り、平成でありましたら此川幅程度でありましたら二徑間にせず、 鈑橋でも混凝土橋でも、間違無く一徑間で架設すると思ふのであります。
 右岸側から見て居りますが、此は何方の形式なのでせうか。
T字桁橋なのか牀版橋なのか判別に惱みます。

 併し桁、混凝土だけかと思ひましたら、直線的な部分、鐵が使はれてゐる樣にも見えますので、如何云つた構造なのか氣に成る處であります。
 まあ、橋上を見ても、太鼓橋の樣な高欄と平滑な路面と云ふ差が有りますので、もつと早く古物件だと氣附ても良かつたかも知れません。

 併し、架橋當時から暫くは、勾配と橋の段差で自動車は結構走り辛かつたのでは無いでせうか。

 して、竣功年の推察でありますが、航空冩眞を見ても、何共判斷に惱みます。
昭和廿二年から昭和卅八年迄は同一に見えますし、昭和五十年もさうだと云へばさうだ共云へる感じでありますが、多分、 若かしますと其間に擴幅されてゐると云へ無くも無いと云ふ感じも致しますので、遲く共昭和五十年以前なのでは無いでせうか。

 唯、何れにしましても、案外歴史的物件だつたと云ふのは間違無いと思ひますので、今後何れだけ壽命が伸びて呉れるかが心配でありますね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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