鹽谷町上寺島 東古屋橋

2675年 11月 17日 探訪

 此方は 【鹽谷町上寺島 元古屋橋】 依り約一キロ程進み、栃木縣道二七三號線の終點部分から架る橋であります。

 まあ此方も、多分でありますが西荒川ダムに因る附替の橋だと思ふのであります。
斯う云ふ唐突な地形に元から橋が架つてゐたとは到底思へ無いでありますし。

 事實、後日地圖で調べて見ました處、若干下流側に舊道部分が御坐いまして、其處で、多分假橋の樣な物で渡河してゐたのでありますかね。
此方の冩眞でも對岸、左手に斜に降りて行く樣に見えるのが御分り戴けると嬉しいのでありますが、其が舊線形の樣であります。
多分。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行きます。
 東古屋橋。

 可也立派な、且つ質實剛健さうな親柱であります。

 當然の樣に、此方も親柱内側に工事銘板が附て居りますね。
 昭和四二年三月の竣功でありますね。

 併し當時は幅員、何故に四米にし無かつたのでせう。
然すれば擦違ひ可能でしたでせうに。
 西荒川。

 西荒川つて此邊が最上流部に近いのかなと思ひましたら、未だ未だもつと上迄行くのでありますね。

 併し可也の土砂が見えますが、之がちやんと海迄流れてゐれば以下省略。
 高欄も時代的に定番の意匠、鐵管を二本使用し、上部は混凝土で作られた姿であります。
 排水桝。

 では、右岸側へ移動致します。
 東古屋橋。

 流石に此方は定番の左右兩岸對稱の銘板でせうか。
 昭和42年3月。

 と思ひましたら、此方は竣功年度の銘板でありました。
相變らずの律儀な銘板でありました。

 但し英數字が使用されて居ります等、時代を感じさせる部分は御坐います。
 再び左岸側からでありますが、横から見ますと二徑間の混凝土T字桁でありました。

 橋臺は必要最低限程度で、ほとんど岩盤に桁が載つてゐると云ふ状態に近いのでせうか。

 併し橋脚が獨特と云ひますか、圓錐柱の樣な姿でありました。
之が林道性能なのかな共思つたのでありますが、まあ、さう云ふ譯では無くで方式に據る形なのでせうね。

 併し此處、色々と問題の場所でありまして、冩眞を撮つて居りましたら何かアレ關係の人に間違はれてゐる感じでありました。

 まあ氣持は分るのでありますが、一寸後味惡いと云ひますかねえ、あれでは誰も寄附無く成つて仕舞さうで一寸、一考の價値は有るかなと云ふ感じでありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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