鹽谷町佐貫 廢止後ノ觀音橋

2675年 4月 28日 探訪

 新橋開通の爲、四月一日を以てして廢止された觀音橋へ再訪致しました。

 尚、供用中の報告は 【此方】であります。

 扨、柵を越えてのんびり歩くのも一興かと思つたのでありますが、流石にアレでせうし、 まあ前囘じつくり見たので別段アレでせうから、今囘は橋の下へ行つて見ようと思ひます。
 一寸した處から岩場に輕く降りて見たトラス側の支承であります。

 片側(右側の桁の方)が可動支承に成つて、伸縮等の逃げに成つてゐるのでありますね。

 結局、此橋は桁の脱落防止策は取られ無い儘で廢止を迎へた樣であります。

 多分、もう新橋の計畫が在つたからなのだと思ひますが。
 して、新橋をてくてくと歩いて渡つて桁側へ遣つて來ました。
何氣に新橋は長かつたであります。
其と氣温が高い日でありましたので、黒い長靴では一寸暑さが堪へました。

 排水桝からの管が内側を向てゐて、桁に水が當る樣にしてゐたのでありますね。
其と、桁の端から肉拔する樣に成つてI型の桁に成つてゐるのでありますね。
其部分迄には横方向の補強は附か無い樣であります。
 して、桁の中間部分に成つて來ると、横方向の補強の部分の外側にも補強が入る、と云ひますか、一定幅なので之だけ外に出る、と云ふ處でせうか。
 一番の特徴的な橋の中間部分での擦違ひ部分であります。

 此方は桁が三本から四本に成つてゐるだけの違ひだつたのでありますね。
 唯、面白いのがトラス側の桁へ如何云ふ状態で載せてゐるのかと思つたのでありますが、丁度桁と支承が入る樣に溝が彫られてゐるのであります。
別に何と云ふ程でも無いのでせうが、成程なあと感心致しました。

 と成ると俄然關心が出て來るのが、此方側、木橋時代は如何云ふ風に此桁に載せてゐたのでせう。

 併し直接風雨に餘り晒され無い部分の混凝土、綺麗な物でありますね。

 と云ひますか、造り的に表面側とは何か違ふのでせうか。
 ワアレントラスの下部構造は斯う云ふ具合でありました。
 此方桁橋側の橋脚でありますが、全て同一の幅の樣にも見られます。
主桁が少い側も太さが一緒の樣に見えますのは、増水した時の抵抗に違ひが出るのを避ける爲なのでせうか。

 と云ひますか、木橋時代の橋脚の痕跡が無いのが殘念であります。
 トラス側の桁には袴の樣に補強、で良いのかな、が附て居ります。

 本流な上に岩盤上である爲の措置だつたのでせうか。

 とは云へ、普段鬼怒川の水は此處佐貫の頭首工で手荒く取られて仕舞、曾ての半分以下程度しか流れ無く成つてゐる樣でありますが。
 併し此名物的な橋も平成廿七年度には撤去作業に入る樣であります。

 昭和四十年代でありましたら橋脚も適當に撤去して御終でせうが、今はさうは行か無いでせうから、此岩盤上の構造物を何處迄壞し、且つ殘すのか興味深いであります。

 まあ不取敢、長年に亙り御疲れ樣でありました、觀音橋。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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