鹽原町湯本鹽原 湯本橋

2681年 12月 6日 探訪

 此所で初て舊線形の存在に氣附たのは、もう卅年近くも前の事であります。
 此方は 【鹽原町湯本鹽原 前黒橋】 依り栃木縣道十九號線、日鹽もみじラインを藤原方面へ進む事五百米強程、長澤に架る日鹽道路、所謂舊道部分の橋であります。

 ぱつと見にも何も前黒橋同樣の經緯でせうからアレでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 笠石部分の圓い造形が痛んで居ります。

 銘板は材質の御蔭で讀み辛いであります。
 ゆもとはし。

 文字部分が痛んで居りますが、何とかさう讀めました。

 中々素敵な筆跡であります。
 此方、親柱は綺麗なのでありますが、矢張銘板部分が壞れて居ります。
 派手に壞れて居りますが、まあ間違無く"昭和十年七月架設"だらうと思はれます。
 高欄は前黒橋同樣八角形の穴が開いた意匠であります。

 では左岸側へ移動致します。
 湯本橋。

 見方次第では、當時の雰圍氣其儘と云ふ感じでせうか。
 親柱の状態は惡く無いと思ふのでありますが、銘板だけが痛んで居りますね。
 此方も橋臺附近が危險な状態でありましたので、少し離れて撮影して居ります。

 
 之は、うゝむ、多分筆跡からしますと"長澤"でせう。
勿論現在のネツト上では名稱不明であります。

 と云ひますか、前黒橋もでありますが、是は意圖的に銘板破壞されて居りますよね。

 多分でありますが、其が供用廢止での措置と云ふ事だつたのでせうか。
 横から見ました處、此方も混凝土T字桁でありました。
勿論、橋臺の造も前黒橋と同樣であります。

 併しまあ、夜な夜な日鹽には大好きなドライブルウトでありましたので來てゐたのでありますが、鹽原側の料金所を過て直に此方が目に入りますので、 何時かはしつかりと見ようと思ひつゝ早何十年と云ふ感じでありました。
其が今囘は雪も無く、絶好の頃合で來られ、斯うしてじつくりと見られ手荒く滿足でありました。

 銘板は殘念でありますが、橋自體が其儘殘つてゐるだけでも有難い、と云ふ處でせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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