鹽原町關谷 名稱不明橋

2683年 12月 18日 探訪

 此方は 【鹽原町關谷 舊猿岩橋跡】 依り百米弱程國道四百號舊道を北上した處、と云ひますか、國道四百號舊道の猿岩洞の外側、急峻な崖を越える爲の橋の樣であります。

 さう、此方は夏場に鹽原名物スウプ入燒蕎麥を食べた時の歸路、のんびりと舊道側を走つてゐた時に發見致しまして、今囘やつと探訪と相成つた次第であります。

 此冩眞ではアレでありますが、見るからに戰前橋でありましたし、若かしますと片棧橋状態かも知れませんが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、右岸と云ふか、北側から見て行き度いと思ひます。
 何でも良いので名稱が刻まれてゐるかと思ひきや、殘念乍無記名でありました。

 では南側へ移動致します。
 手荒く見辛いでありますが、此方も無記名でありました。
 高欄は 【栃木市萬町-入舟町 常盤橋】 の樣な意匠であります。

 では北側に戻ります。
 横から見ました處、混凝土T字、所謂RCT桁であります。

 して、主桁の下に小砂利が堆積してゐる事から、棧橋では無くちやんと橋として架設されてゐる樣であります。

 處が、御覽の通り親柱の倍以上に牀版に土砂が堆積して居りますので、遊歩道を歩く人には最早橋として認識されてゐ無いのでは無いかと思はれます。
 猿岩洞との位置關係、路盤高さの違ひが御分り戴けるでせうか。
多分猿岩洞の左側の平場も舊路盤だと思はれますし、掘下る状態で線形改良したと云ふのも岩盤の強度の關係でせうか。

 して、思ひますに結構猿岩からの崩落つて多いのでは無いでせうか。
でありますので、安全の爲と擴幅の爲に隧道が掘られたのだらうと思はれます。

 だつて、橋の上に彼だけ土砂が堆積して居りますし、桁の下にも砂利が堆積してゐるのでありますから。

 まあ、當然竣功年は不明でありますが、戰前、昭和一桁か十年代で間違無いと思はれます。

 と云ふ事で、不取敢記録に殘せて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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