2682年 4月 4日 探訪
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此方は
【鹽原町關谷 舊石安土橋】
依り四百五十米程國道四百號舊道を北上した處であります。 御覽の樣に、現道、と云ひますか、國道四百號下鹽原バイパスが令和四年三月廿六日に開通致しましたので最早舊道でありますが、 其横に如何にも舊線形だと云はん許の部分が御坐います。 |
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して、此方が猿倉澤に架つてゐた舊猿岩橋跡であります。 まあ、何れだけの遺構が殘つてゐるか分りませんが、不取敢此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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洗出仕上の如何にも戰前物と云ふ感じの親柱が殘つて居りました。 |
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殘念乍銘板は外されて居りました。 其跡から、多分 【高根澤町上高根澤 古川橋】 の樣な物が附てゐたのでは無いかと推察致します。 |
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殘念乍上流側の親柱は殘つて居りませんでした。 多分水路橋を作る時に撤去されたのでは無いでせうか。 |
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右岸側の痕跡は確認出來ませんでした。 |
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して、左岸側の橋臺でありますが、玉石積で橋臺とは。 いやあ、今迄斯樣な橋臺は見た無いのでありますが。 と云ひますか、親柱の邊から縱に切目が入つてゐたりして居りますし、何か一寸、如何云ふ事なのか不明であります。 唯、梁部は混凝土で作られてゐるのでありますよね。 |
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下の方を見ても何の手掛りも無さゝうでありますし。 |
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まあ、水路橋に世代交代したと云ふ事で良いでありますかね。 と云ひますか、奧、何か擁壁が不自然な位置に在るのは何なのでせう。 |
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先々代はも少し奧で猿倉澤を越えてゐたのでせうか。 |
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何か其つぽく見えるのでありますが、如何でせう。 |
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空積だつたり、岩を支へる爲に先端部分は作られた樣でもあり、謎であります。 |
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斯うして見ますと、後から作られた樣には見えませんし、何か一寸不自然でありますよね。 |
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で以て、斯樣に上の方にも殘つてゐるのであります。 因に、此舊猿岩橋の竣功年でありますが、當然の樣に不明であります。 最早ネツト上には何の手掛りも無いと云ひますか、現橋が昭和四七年竣功でありますし、昭和廿二年の航空冩眞、廿三年の航空冩眞では確實に其姿を確認出來ますので、 戰前物件で先づ間違無いと思はれます。 まあ、やつと舊道と成つて此方をじつくりと見られましたので、不取敢滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |