鹽原町鹽原 名稱不明橋

2682年 4月 4日 探訪

 此方は 【鹽原町鹽原 舊境橋、舊々、舊々々境橋跡】 依り七百米程國道四百號舊道を北上した處、名稱不明河川に架る橋であります。

 と云ひますか、ぱつと見舊線形を改修して廣く成つた程度にしか思つてゐ無かつたのでありますが、何と無く現代的な觀光地の柵の下に地覆が見えましたので、 若かしてと思ひ覗いた處、橋でありました。
とは云へ、此冩眞ではさう見えませんがね。呵呵

 と云つても、舖裝を良く見ますと、何と無くの其らしい幅員が見えて來ますし、其狹さから可也の年代物かと思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふことで此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 之は、多分親柱は元から無かつた樣な雰圍氣であります。
 とは云へ、何か翼壁の下に混凝土構造物が散ばつてゐるのが見えますが、元の親柱とか以前の橋跡等でせうか。

 と云ひますか、も少し上流側に廣さうな雰圍氣でありますので、此方にもゝつと以前からの踏跡が在つたのかも知れません。
現地でははつきりと判別出來ませんでしたが。

 では右岸側へ移動致します。
 親柱跡、と云へばさうかも知れませんが、上部が綺麗にされてゐるのが何共、後年の構造物の樣に見えて仕舞ます。
 横から見ました處、舊境橋同樣如何にも戰前と云つた趣の混凝土T字桁でありました。

 して、親柱の基部と思しき部分は、若しかしますと後年に追加されました落橋防止の補強なのかも知れません。

 扠、竣功年でありますが、當然の樣に不明であります。
でありますが、先づ間違無く戰前物だらうと思ひます。

 まあ、さう云ふ細いことは餘氣にせず、舊線形部分の名殘だと思つて樂しめるので、其だけで十分でありました。

 之も舊道に成つた御蔭でありますので、大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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