2682年 4月 4日 探訪
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此方は
【鹽原町鹽原 澄鮮橋】
依り五十米程國道四百號舊道を北上した處、名稱不明河川に架る橋であります。 其儘澄鮮橋同樣の見た目でありますから、改修されたのも同年代頃と思はれますし、矢張此方も歴史的物件と云ふ事でせう。 と云ふで此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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親柱、と云ひますか、橋臺部分との境が分ら無く成つてゐるのは、最早古い橋の宿命でせうか。 |
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かんせい橋。 では右岸側へ移動致します。 |
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之は大型車が打當つた痕でせうね。 昭和六三年に尾頭トンネルが完成し、國道四百號が上三依で國道一二一號と接續以來、會津、新潟方面から東京方面へ拔る道筋として交通量が手荒く増えましたから。 |
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寒凄橋。 抛雪の瀧「ハウセツノタキ」、雪も吹飛すと云はん許の瀧の前でありますから、嘸や凄い寒さだつたのでせうね。 中々に粹な命名であります。 |
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横から見ました處、此方も充腹拱橋でありました。 因に竣功年でありますが、此方は昭和十二年でありました。 何か、同樣の形式の橋でありましたので澄鮮橋と同一年度かと思つてゐた、と云ひますか、適當に栃木縣橋梁點檢結果を見て居りましたので十二と云ふ數字だけで見て居りましたが、 元號が違ふと云ふのは、之を書いてゐる時點でやつと氣附たと云ふ次第であります。 |
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因に擴幅側は昭和四七年竣功の鈑桁でありました。 いやあ、やつと念願の物件が見られましたので大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |