鹽原町鹽原 遊園橋

2675年 6月 16日 探訪

 【鹽原町鹽原 鹽湧橋】 依り百五十米程上流側に架る橋であります。
此方の方が鹽湧橋依り古風な佇ひ、且つ小振な感じであります。

 まあ其はきつと縣道と町道の違ひも有るのだと思ひますが、扨、此方は如何云ふ橋でせうか。

 では此方、左岸側から見て行きます。
 箒川。

 中々に趣きの有る、凝つた意匠の親柱であります。
特に下側の曲線が何共素敵だなあと感じました。
 遊園橋。

 觀光地、温泉郷でゆつくり過ごす處、と云ふ心象を抱かせる樣な、何か大人的な雰圍氣を釀し出す命名だなあと思ひました。

 否、別段遊廓だとか藝者遊びとか、さう云ふのを想像したとは云ひませんよ。
多分。
 排水桝は斯う云ふ感じであります。
 高欄は柱、混凝土管共々細身であります。

 おや、如何やら桁は三つに分れてゐる樣でありますね。

 三徑間と云ふ事で良いのでせうか。

 では右岸側へ向ひます。
 右岸側は桁の上にカアブして下りて來る道の勾配を緩和する爲に、後年に成つてからかアスハルトが盛られてゐる樣であります。

 一應、傾斜も考へられてゐると云ふのが亦、えゝ。
 わはゝ、何と云ふ事でせう、昭和三十三年と云ふ處迄しか讀め無い状態でありました。

 多分、何と無く五月と書いて在る樣な氣がし無いでも無いのでありますが、如何にも色々とアレでえゝ、諦めました。
 何と云ふ事でせう、ゆうゑ・・・物理的に之以上讀め無い程に盛られて居りますよ。

 嗚呼、もう、折角「ゑ」の文字が見られたと云ふのに。
でも正確には正假名でも「ゆうえん」と辭書では成つてゐるのでありますがね。

 まあ唯單に「ゑ」が遣ひ度かつただけなのかも知れませんが。

 と云ふか、「はし」なのか「ばし」なのかが分りません。
 では橋の下部構造を見て行きませう。

 をゝ、之は何て見事で綺麗な混凝土拱橋でせう。
何か見てゐて構造的に飽きる事が有りません。
弧を描く部分の厚みの變化とか、其處から土臺部分への繋り方とか、藝術的に感じて仕舞ました。

 併し、鹽湧橋依りも新しいのに鐡では無く混凝土と云ふのが意外でありました。

 何か混凝土拱橋つてもつと古いと云ふ印象が有りましたから。
 橋臺部分迄一體構造、と云ふ譯でも無ささうな感じでもありますが、一寸分り辛いであります。

 して、路盤を支へる部分は一番端の部分だけ柱の樣な構造でありまして、後は壁なのでありますね。
 嗚呼さうさう、桁的に三徑間と思つてゐたのでありますが、中央部分だけ弧を描く部分と一體構造で、其兩側に桁が載る、と云ふ造りなのでありますね。

 但し高欄は一體構造である、と。
 構造的な區切り方が成程ね、と。

 一寸ピンボケで失禮。
 一寸増感して見ましたが、成程、桁はT字型(で良いのかな)でありますか。
 して、弧の下の部分を良く見ますと、型枠の板の木目が綺麗に模樣として殘つてゐるのであります。

 之は思はず「綺麗」と言つて觸つて居りましたよ。
 此處もずうつと木目が附てゐて綺麗何だらうなあと思ひ下側を見ますと、綺麗な弧を描いてゐる部分は縱に型枠を作つてゐるのでありますね。

 と、良く考へて見ますと、板を一枚一枚さう云ふ具合に曲げてゐる、と云ふ事でありますよね。

 其勞力つて凄いでありますね。
 して、あれ、如何見ても大きさも違ふ混凝土構造物が御坐いますが舊橋のでせうか。
高さ等は違ひますが鹽湧橋と同樣な感じから、間違ひ無くさうでありますね。

 と思ひ「遊園橋」で畫像檢索致しましたら、矢張負けず劣らずの立派な頬杖橋の繪葉書の畫像が見附りました。

 遊園橋自體は昭和四年の地圖で初て確認出來るのでありますが、混凝土と云ふ構造物からしまして、大正頃から其頃迄に作られた物件だと云ふ事でありますね。

 今の橋依り若干下流依りで、且つ幅も廣かつたのでせうか。

 併し鹽原温泉街の箒川、良い物が見られました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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