大田原市瀧岡 百村橋

2678年 7月 3日 探訪

 此方は 【大田原市瀧岡 大澤橋】 を通過し、道形に一キロ弱程箒川方面に進んだ處、百村川(モムラガハ)に架る橋であります。

 もう一見して昭和卅年代物件だと分かる其意匠、手荒く素敵であります。

 扨、其素敵な物件百村橋でありますが、其實如何云ふ橋なのか、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和三十四年三月竣工。

 嗚呼、矢張素敵な年代でありますね。
飾氣の無い銘板でありますが、横書に成つてゐる處にモダアンさを感じます。

 但し英數字は未だ使用されてゐ無い處が良いでありますね。
 百村橋。

 之で當然「モモムラハシ」と讀むのだらうと最初は思ひました。

 「橋」の字體が此時代の流行で變字體に成つて居りますが、是が又時代を感じさせて呉れて素敵であります。
 高欄は混凝土管を二本使用しました、正に昭和卅年代物件らしい意匠であります。

 其に、桁毎に分割されてゐるのが良いでありますね。

 では左岸側へ移動致します。
 もむらはし。

 「も」が一時足り無いだらうと思つたのでありますが、まあさう書いて有るのでさうなのでせう。

 併し親柱の外側を斜にしてゐる意匠は、高度經濟成長期の華さ、もう質實剛健だけの時代では無いと云ふ走りでせうか。
 百村川。

 何か全體に素敵な字體でありますが、是は發注者の首長が書いた書體でせうか。
如何にも字體迄モダアンに見えて來て仕舞ます。

 併し、不期して親柱の作り方が分かつた樣な感じであります。
 横から見ました處、パイル形式の橋脚を持つ三徑間の混凝土T字桁橋でありました。
其と、主桁の兩端附近に水の流れた跡が有る事から、其邊に排水桝が在るのでせうが、不取敢全て土に埋れて居り分りませんでした。

 其と橋脚、土臺の部分を良く見ますと尖頭型に成つてゐるのであります。
斯う云ふ部分も素敵でありますね。

 何か全體的に、河川も風景も含て素敵な處だなと云ふ感じでありました。
其處に是だけ素敵な物件が在るのでありますから、出來る限り長く殘つてゐて欲しいなと思ひました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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