2678年 6月 5日 探訪
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此方は
【大田原市佐久山 大橋】
依り一キロ程北進した處、箒川に架る栃木縣道四八號線、舊陸羽街道の橋であります。 以前から古い橋だなと思つてゐたのでありますが、中々自動車を駐めて見る機會が無く、今囘やつと意を決して見る事が出來ましたが其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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昭和三十二年十月竣功。 正直、拙は昭和廿年代の橋かなと思つてゐたのでありますが、何と昭和卅年代物件でありましたか。 尤も、卅二年ではほぼ廿年代物件との差異を感じ無かつたのは或る程度仕方が無いかも知れ無いと自己辯護して措きませう。呵呵 併し中々に凄い意匠の親柱であります。 丸で國鐵の特急車兩151系のボンネツトの樣な感じだなと思つて仕舞ました。 |
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岩井橋。 橋名の由來を地圖に求て見ましたが、如何やら地區名では無い樣でありましたので、不明であります。 |
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横から見ました處、六徑間の混凝土T字桁、此方はRCでは無くPCでせうか、であります。 其にしましても隨分と強固さうな橋脚であります。 |
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橋臺。 |
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橋脚。 曲面の細い型枠跡が素敵であります。 |
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横側も見てみましたが、全體に細い型枠跡が有りました。 其と、下の方は後年に成つてからの補強かと思つたのでありますが、型枠跡が同樣な事から、最初から斯う造られてゐるのでありますね。 では左岸側へ移動致します。 |
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いわいはし。 |
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箒川。 因に、元の高欄は混凝土管を二本使用しました、如何にも昭和卅年代と云ふ意匠でありました。 其と、舊橋の痕跡の在るか如何か確認して見ましたが、見當りませんでした。 やつと念願叶ひ此方をじつくりと見られた譯でありますが、曾ての街道の橋、未だ未だ現役で頑張つて欲しい物であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |