大田原市佐久山 大橋

2678年 6月 5日 探訪

 此方は栃木縣道四八號線、舊陸羽街道、通稱佐久山街道の佐久山前坂交叉點から大田原市内方面に進む事約五百米、舊道と合流して直の處、 佐久山川に架る橋であります。

 まあ普通でありましたら全く氣にも留め無い程度の橋でありますが、當然ぱつと見の雰圍氣からしまして如何にも高度經濟成長期物件でありましたので、 今囘じつくり見てみる事にした次第であります。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 おおはし。

 小ぢんまりとした橋でありますのに此は如何にと云ふ感じでありますが、まあ、名稱に困つた時には斯う成ると云ふ感じなのでせうか。
例へば「太郎」とか「花子」の樣に。
 用水。

 現在では佐久山川と云ふ河川名に成つて居りますが、此方の竣功當時は唯の用水だつたのでせう。

 して、親柱は橋臺側に有るのでは無く、高欄の柱が兼用してゐると云つた具合でありますね。
 其高欄は混凝土管を二本使用しました、如何にも昭和卅年代物件と云ふ意匠であります。

 では左岸側へ移動致します。

 嗚呼、因に冩眞奧の方には佐久山城址が在り、此方江戸時代には奧州街道廿一番目の宿、佐久山宿でありました。
 昭和三十七年三月竣功。

 何と、此規模の橋でありますのに竣功年が明記されて居りました。

 否、失禮な話でありますが、てつきり左右兩眼で對稱の銘板かと思つておりましたので、是は嬉しい、且つ手荒く誤算でありました。
 大橋。

 まあ此以外の漢字表記は先づ無いでありますよね。
 横から見ました處、牀版橋でありました。

 まあ、態々T字桁で作る規模では無いでせうから當然と云へば當然でありますかね。

 今と成つては程良く風情の有る意匠だと思ひますが、是が何時ガアドレイルに更新されるかも分りませんので、現状を冩眞に收められて良かつたなと云ふ感じであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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