2683年 1月 10日 探訪
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此方は
【大平町下高島-眞弓 名稱不明橋三本】
の三本目から六百米程、無視、否、割愛した栃木縣道三一一號線の橋から四百米弱程杣井木川(ソマイキガハ)を上つた所に架る橋であります。 まあ、先づ間違無く同世代の橋と思ひますが、其じつ如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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安定の鐵管二本意匠の高欄であります。 てせは右岸側へ移動致します。 |
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あれ、何か下流側は柱の間隔がアレでありますが、如何したのでせうか。 まあ、機能してゐれば良いだけでありますからね。 |
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牀版橋であります。 |
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次は二六〇米程上つた所に架る橋であります。 先程の橋の御蔭で、最早高欄の柱に一番の注意が向て居りますのは内緒であります。呵呵 因に、此方だけが兩岸共に藏井地内であります。 |
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此方の橋は兩側共に普通の鐵管二本高欄でありました。 では右岸側へ移動致します。 |
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利水施設も御坐いました。 |
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牀版橋であります。 |
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御次は二五〇米程上つた所に架る橋であります。 |
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今迄同樣の親柱であります。 |
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今迄同樣の高欄であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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今迄同樣牀版橋であります。 扠、竣功年でありますが、此方の三本は栃木市の點檢結果では不明でありました。 が、間違い無く昭和四三年以降四八年迄の間の物だと云ふ事は確實であります。 此處迄河川改修や圃場整備で統一された橋を見ると云ふのも、中々に面白かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |