2682年 1月 4日 探訪
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此舊線形部分が殘つてゐるのが素敵であります。 |
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此方は
【栃木市柳原町 保橋】
依り廿キロ程思川を下つた所、渡良瀬川との合流點からは四キロ程上流側、法音寺城跡、今の法音寺の直傍に架る橋であります。 探訪時は生憎と工事中でありましたので斯樣な冩眞と成りましたが、まあ、標識を見ての通り小振な橋であります。 と云ふ事で、何か徒歩で渡るのもアレかなと思ひ、此方左岸側からのみ見て行き度いと思ひます。 |
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西暦2004年以降2009年迄の間に増設されたであらう歩道部分にも銘板は御坐いませんでした。 |
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上流側にも親柱は無く、高欄にも銘板は附て居りませんでした。 混凝土柱は車幅規制をする爲の物であります。 |
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高欄、と云ふか欄干としても大人の膝下程度しか無いので、之、徒歩や自轉車で渡るのは手荒く怖かつたのでは無いでせうか。 拙なら端では渡り度く無いであります。 |
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パイル形式の橋脚を二基持つ、三徑間の鈑橋であります。 右岸側に見える二本の混凝土パイルの殘骸は舊橋の物の樣であります。 |
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昭和四一年竣功でありますね。 して、野木町の沿革を見ました處、此方の架橋で永久橋に成つたと記載されて居りましたので、先代の物は橋脚は混凝土製の木製桁だつたのでせうか。 |
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下流側からでありますと、ストラツトで歩道部分が増設されてゐるのが分ります。 因に、先々代橋は現在の部分か、先代橋との間邊に架つてゐた樣であります。 未だ今程ベツドタウン化する前の地域の名殘を感じさせる素敵な橋でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |