2677年 11月 21日 探訪
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此方は
【二宮町大和田-横田 高畦橋】
依り四キロ半程五行川を下つた處に架る、栃木、茨城縣道二一六號線の橋であります。 ぱつと見、何か何處かで見た事が有る樣な氣がすると思つたのでありますが、親柱は 【眞岡市田島 田島大橋】 、高欄は 【馬頭町馬頭 古館橋】 と同樣な意匠と云ふ感じであります。 と云ふ事は、自づと大凡の竣功年も想像に難く無いでありますが、其は多分、此處迄見て來た中での高畦橋同樣、 五行川の大規模改修の時期に當ると云ふ事なのでは無いかな共思へる次第であります。 と云ふ事で此方左岸、二宮町大根田側から見て行きます。 |
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かつら橋。 銘板の字體が中々に味はい深いであります。 如何せなら全部平假名表記にして呉れと思ふのでありますが、まあ、「ハシ」と讀まうが「バシ」と讀まうが構は無いと云ふ事でありますかね。 併し綺麗な状態の親柱であります。 交通量は意外と多い道だな云ふ印象だつたのでありますが。 併しうゝむ、丸で椅子の樣で、散歩の途中に一休みするのに最適な樣な感じであります。 |
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五行川。 此方川の親柱は痛みが激しいでありますが、多分其は舊道、舊橋に面した集落への自動車の出入が多いからでせうね。 |
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高欄は正に柵と云つた感じの意匠であります。 して、桁毎に分割されて居りました。 |
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排水桝。 鑄物で無いのが意外でありました。 では右岸、茨城縣下館市樋口側へ移動致します。 |
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桂橋。 管理者側へ向つて左側が橋名と云ふ定石通りの銘板の配置であります。 と云ふ事は、管理者は上流側と云ふ事でありますね。 |
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五行川。 |
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横から見ました處、鈑橋でありますね。 して、さう、上記の高畦橋の橋脚とは型枠の跡が全く違ふのが御分り戴けるでせうか。 其とも一つ興味深いのは、待機と注意、避難迄の水位の違ひが廿サンチ程だと云ふ事であります。 之僅かの差が侮れ無いのが水勢なのでありますね。 |
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して、左岸上流側の主桁に工事銘板が附て居りまして、御覽の樣に昭和四二年三月竣功であります。 さうして、何が一番分つて良かつたかと云ひますと、縣境を跨いでゐる場合、何方が建造するのだらうかと思つてゐたのでありますが、 此方の場合は栃木縣が建造してゐたのでありますね。 まあ、鈑橋でありますし別段アレかも知れませんが、此竣功年と建造主が何方だつたのかが分ると云ふ事で、じつくりと觀察出來て面白かつた物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |