2682年 5月 10日 探訪
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此方は
【日光市中小來川-南小來川 宮の下橋】
依り七百米程西黒川を上つた所に架る橋であります。 ぱつと見は、多分昭和卅年代の橋かなと云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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高欄に比べ、隨分と背の低い親柱だなと云ふ印象であります。 其にしましても、何か意匠的に凝つた作りなのでせうが、結構痛んで居りまして、元々如何云つた姿だつたのかゞ氣に成ります。 |
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大久田橋。 纖細な字體が昭和卅年代と云ふ感じであります。 斯うして見ますと、親柱表面し洗出仕上だつた樣であります。 |
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上流側は隨分と傾て居りました。 |
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黒川。 未だ此方が黒川の時代の橋、と云ふ事でありますね。 |
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高欄は空間に混凝土柱を二本使用しました意匠であります。 |
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左岸側から四本目の高欄の柱、幅が廣く成つて居りまして、意匠も一寸凝つて居ります。 之は多分、混凝土柱の長さ調節か、桁の繼目か何かと云ふ事でせうか。 では右岸側へ移動致します。 |
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此方側でも親柱の元の意匠は確認出來ませんでした。 右岸側の高欄の柱、左岸側とは違ふ味わいが御坐いまして、是は中々に素敵であります。 |
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おおくだばし。 橋名の由來は分りませんでした。 |
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此方の親柱は消失して居りました。 |
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横から見ました處、混凝土開腹拱橋でありました。 が、其は中間部分でありまして、此方右岸側には一徑間の牀版桁で陸と接續されて居りました。 |
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左岸側はも少し徑間が有るからか、此方は混凝土T字桁が載つて居りました。 |
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施工會社の銘板が附て居りましたが、之、「マルマサ」建設で讀みは合つてゐるのでせうか。 因に竣功年でありますが、日光市橋梁點檢結果を見ました處、昭和卅二年でありました。 納得と云へば納得の竣功年でありますが、中々に個性的な部分も見受られます橋でありました。 不取敢まあ、普通に佇む結構な年代の拱橋つて素敵だなと云ふ感じで大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |