2681年 4月 5日 探訪
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此方は栃木縣道十七號線、通稱那須街道の廣谷地交差點から栃木縣道六八號線を福島縣方面へ進む事約四キロ程、四ツ川に架る舊道側の橋であります。 一見すると戰前物件に見え無くも無いでありますが、其實如何でせうか。 |
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因に、此方が四月五日に探訪した時の冩眞なのでありますが、何か手荒く惚て居りましたので五月十一日に再訪した時の物であります。 流石に此方は普通に使へ無いと思ひ撮直したのでありますが、一箇月程ですつかり新緑の季節と成つて居りました。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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流石にガアドレイルが在りますので銘板は見え無い状態であります。 【茂木町山内 木之元橋】 の樣な親柱でありますので、若かしますと昭和卅年代物件でせうか。 |
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四ツ川橋。 鐵製の銘板でありますから、多分昭和廿、卅年代物件かと思はれます。 |
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此方も遠目には銘板を確認出來ません。 |
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殘念乍銘板は無く成つて居りました。 多分河川名表記の物が附てゐたのでは無いでせうか。 |
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高欄は四角く穴の開いた意匠であります。 之が若かすると戰前物件かなと見える要因であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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此方は殘念乍親柱毎消失して居りました。 |
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同上。 |
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横から見ました處、うゝむ、之はT字なのか牀版なのか惱む姿であります。 地覆迄の幅員からしますと内側に桁が入つてゐるのでT字の樣でありますが、其にしましても薄いので、若かしますと牀版橋なのかも知れ無いと云ふ感じで、正直分りません。 因に竣功年でありますが、那須町の橋梁點檢結果で"らしい"處を見ますと、昭和卅五年と在りましたので、多分此方の事だらうと思ひます。 まあ、中々に古風な橋が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |