2681年 4月 6日 探訪
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此方は
【那須町寄居 西橋】
依り國道二九四號舊道を二キロ二百米程北上した處、奈良川に架る橋であります。 西橋迄を探訪した時に見事見落して居りまして、今囘郡山からの歸路で偶々舊道に入つた處、眼前に橋が在る事に氣附たと云ふ次第であります。 扠、ぱつと見には多分昭和廿、卅年代の橋かと思しき感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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大澤橋。 親柱は無く、高欄の端に鐵製の銘版が附てゐると云ふ姿でありますが、見事正字體でありますので、若かし度ら戰前物件かも知れません。 |
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上流側には何の表記も御坐いません。 |
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高欄は、之では一寸如何云ふ意匠なのか分りませんね。呵呵 では、一先づ右岸側へ移動致します。 |
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右岸側も上流側には何の表記も御坐いませんでした。 一寸戰後の配列とは違ふ感じでありますので、若かしますと上流側は擴幅されてゐるのかも知れませんし、當時からさう云ふ配列だつたのかも知れません。 |
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奈良川。 扠、斯う成りますと何故に大澤橋と云ふ橋名なのか不思議なのでありますが、地圖を見ても地名では無さゝうでありました。 |
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横から見ました處、混凝土牀版橋でありました。 其にしましても隨分と盛土されて居りますね、ほとんど高欄の高さに近い程であります。 でありますので、高欄には穴が開いてゐるのでありますが、ほとんど見え無い状態に成つて居ります。 |
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反對側からも見てみました。 多分高欄は 【河内町下田原 山田橋】 の樣な物かと思はれます。 其と、基本的に下流側と同樣な桁に見えますので、元から此幅員で間違無い樣であります。 扠、竣功年でありますが、栃木縣の橋梁點檢結果を見ました處、多分此方の大澤橋で間違無いと思はれる結果から、昭和十二年竣功の物件かと思はれます。 でありましたら正字體且つ銘板が附てゐるのも納得であります。 まあ、偶然とは云へ歴史的物件が見られて手荒く滿足でありますし、此儘餘生をずうつと過して欲しいなと思ひました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |