那須町高久乙 上黒尾橋

2679年 11月 4日 探訪

 此方は 【那須町高久乙 高雄股橋 【一】】 の袂の道を約二キロ程進んだ處、上黒尾川に架る橋であります。

 まあぱつと見に如何にもな年代の橋と云ふ感じでありますが、否、肝心な處は其處では無く、最早供用停止に成つた云はゞ廢止物件と云ふ事でありますね。
さうして今は私有地への出入用の橋と云ふ處でせうか。

 でもまあ不取敢此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 上黒尾川。

 栃木縣道二六六號線にも此方の川の橋は在りましたが、暗渠の樣でありましたし親柱、銘板は御坐いませんでしたので省きました。
が、此方には斯樣な立派な親柱銘板が附程の河川に成つてゐる樣であります。

 流石下流域と云つた處でせうか。
 上黒尾橋。

 河川名からの命名でありますね。
 高欄は混凝土管を一本使用しました意匠であります。

 意匠的に 【那須町高久乙 高雄股橋 【二】】 と同一でありますので、同時期の竣功物件と云ふ處でせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 此方側には銘板が御坐いませんでした。

 別段作り直された樣な感じでも無く、銘板が取外された樣でも御坐いませんので、元から斯うだつたのでせうか。
 同上。
 横から見ました處、此時代の定番的な混凝土T字桁でありますね。
 橋上から下流を眺めた景色でありますが、以前は左岸側の石積の護岸が途切た處邊に先代橋が架つてゐた樣であります。
して、右岸側の護岸が總混凝土に成つてゐるのが其撤去後だと物語つてゐる樣でもあります。

 扨、此方の竣功年でありますが、航空冩眞で判斷致しますに、昭和廿七年では未だ架つて不居、昭和卅八年の冩眞では確認出來ますので、矢張其頃で間違無いと思はれます。
さうして、何時頃現在の樣に成つたのかは不明でありますが、平成十二年の冩眞では現在の線形に成つてゐるのが確認出來ますので、まあ其也の年數は供用されてゐたのでは無いでせうか。

 まあ、之でも戰後の線形改良後の賜でしたでせうに、今では依り直線的に改修されてゐると云ふ、何處迄も自動車優先、其は或る意味人間の欲望優先共云へる結果に見えて仕舞ます。

 今時の自動車は何れも馬鹿見たいに大きく成つてゐるので、其内何んな僻地でも手荒く立派な道路許作りさうでありますね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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