2677年 1月 24日 探訪
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此方は
【眞岡市臺町-田町 城山橋】
依り六百米弱程行屋川を下つた處に架る橋であります。 二六七五年に改修されて居りまして、竣功當時の面影は上部構造で見る限り、何とか親柱に求める事が出來ますが、 笠石部分が無く成つてゐる等些か殘念な事には成つて居ります。 但しグウグルのストリイトビウでは改修前の【二六七三年】の姿が見られますので、 其方と比較して如何變つたか見てみるのも一興かと思ひます。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行きます。 |
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ぎようやがわ。 元々は"ぎやうやがは"と表記されてゐたのかも知れ無いと思ふと些か殘念でありますが、まあ、二六七三年の時點でも此方の銘板は消失して居りますので、 現代假名遣ひに改められて居りますのも致し方無しと云つた處でせうか。 其と、出來れば笠石も其儘殘してゐて欲しかつたなと云ふ感じであります。 |
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ときわはし。 まあ、此方もさうでありますが、之依り先代の橋では間違無く"ときははし"でありますよね。 では左岸側へ移動致します。 |
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行屋川。 ストリイトピウで見られる畫像と比較致しますと、字體が同一に見える事から、若かしますと再塗裝した上で銘板は再利用してゐるのでせうか。 |
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常磐橋。 矢張再利用してゐる樣な感じでありますね。 さう、二枚目の冩眞の"ぎようやがわ"の銘板だけ色合が違ひますので、アレだけ新規で作られた物なのだと思はれます。 |
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横から見ますと一徑間、と思ひきや、何か一寸樣子が違ひます。 斯う云ふのつて三徑間と呼んで良いのでせうか。 |
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右岸側の橋臺を見て居りますが、下の遊歩道部分迄橋臺が迫出してゐると見て良いのでせうか。 因に、人道橋の鈑橋部分は、航空冩眞で確認致しますと昭和四十年代に作られてゐる樣であります。 |
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下から主桁を見ますと、緩かな弧を描いた美しい混凝土T字桁であります。 |
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橋臺側の短い桁との繼目を見てゐるのでありますが、若かしてゲルバア橋なのでせうか。 |
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眞下から見ますと、後年に成つてからの補強的な部分が目立ます。 |
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下流側から見た方が此方の橋の竣功當時の姿に近く、依り一層魅力的に見えるでせうか。 |
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して、橋臺部分を見ても、拙には如何云ふ構造か分りませんでした。 不取敢、上の方は何かしらの補修が成された爲に横に筋が入つてゐるのでせうか。 扨、竣功年なのでありますが、幸ひな事に眞岡市橋梁長壽命化修繕計畫に掲載されて居りましたので分つたのでありますが、昭和廿八年竣功の樣であります。 中々に凝つた親柱の意匠でありましたので、若かして戰前物件かなと思つたのでありますが、意外と新しい、とはもう云へ無いではありますが、 さう云ふ橋だなと云ふ印象でありました。 まあ、現代的に補修され乍も、出來る限り此儘殘つてゐて欲しいなと思ふ物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |