茂木町小井戸 名稱不明橋 【一】

2675年 5月 12日 探訪

 扨、此方は栃木縣道廿七號線の舊橋であります。

 場所的には此方、 【茂木町小井戸 未成國鐵長倉線 栃木縣道廿七號線架道橋】 の直傍でありまして、と云ひますか、報告の中の冩眞で確認出來ますね。
して、直傍に在る乘合バスの停留所の名稱は正に「ガアド下」であります。

 其と、河川は此方、 【茂木町後郷 名稱不明橋】 と同一なのでありますが、當然の樣に河川名は分かりません。

 まあ、見事に舊路盤に舊橋と云ふ處でありますが、何か上流の側の樣子がアレな事に成つて居ります。

 一體如何云ふ事なのかも含て、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 橋に近附て見ました。

 現道に近い側は親柱、高欄共に取拂はれて居りますが、其は道路整備等の兼合からだつたのでせうか。

 何か、繼接だらけのガアドレイルが何かアレでありますが、轉落防止には十分でありますね。
 嗚呼、無殘にも銘板は取拂はれて居ります。

 唯、親柱の裝飾は中々重厚な感じでありまして、意外と古い橋なのだらうかと思はせて呉れるのであります。
銘板が附てゐたと云ふ事から、昭和十年前後以降、新しくても斯う云ふ意匠でありますと昭和廿年代前半頃迄、と云つた處でせうか。
 ううむ、左岸側も同樣に銘板は無く成つて居ります。

 關係無いでありますが、路盤の上迄草生してゐるのは歩いてゐて心地良かつたであります。
 何か斯うして高欄を見ますと、結構凝つた意匠だなあと思ふのであります。

 二重橋と云ひますか眼鏡橋と云ひますか、素敵であります。
 して、上流側なのでありますが、斯う云ふ具合に親柱、高欄が無く成つてゐるのであります。
而も良く見ますと鐡筋は其儘殘されてゐると云ふ具合でありまして、何か亂暴な處理の儘であります。
 此方左岸側なのでありますが、橋臺の方迄混凝土塊團の護岸が侵蝕してゐる感じであります。

 其と、側溝の流入口が直傍に在る事から、此等を整備する爲に親柱や高欄は撤去されたのでは無いでせうか。

 まさか自動車が打當つてアレで其儘とかでは無い、と思ひ度いであります。
 右岸側の橋臺はきちんと殘つて居りました。

 まあ當然でありますが、高欄部分依り親柱の鐡筋は太いでありますね。

 して、橋の下には何か人工構造物的な混凝土の塊が在る樣に見えますので、若かしますと高欄とか親柱の殘骸かも知れません。

 と云ひますか、何か岩盤と云ふか岩の樣な石もごろごろしてゐる樣な感じであります。
 下流側を見て居りますが、桁の厚みは案外薄いのでありますね。
多分此感じから致しますと、T字桁では無いでせうか。

 其と、橋臺が面白い形状と云ひますか、縁が出てゐる樣なのが特徴的でせうか。

 何と無く戰前物件と云ふ感じも致しますが、其は扨措きましても素敵な意匠の橋でありますので、此儘殘つてゐて呉れると嬉しいなと思ふ物件でありました。

 併し何故以前に未成線を見た時に氣附か無かつたのかと云ふのは言ひつこ無しと云ふ事で。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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