茂木町飯野-山内 那珂川橋跡

2679年 1月 8日 探訪

 此方は 【茂木町河井-牧野 大藤橋】 依り三キロ程那珂川を下つた處、と書か無く共誰でも良く分る、國道一二三號を南下し茨城縣との境の舊道部分に嘗て架つてゐた那珂川橋跡であります。

 那珂川の右岸側、新那珂川橋の三百米程手前を右に入りますと、斯う云ふ具合に未だ國道一二三號の御握と木製電柱が殘つてゐる道を進みます。
 さう致しますと、ガアドレイルで塞がれた橋臺部分に到達致します。

 左岸側橋臺の袂には 【茂木町山内 兩國橋】 御坐います。
 何か標識が立つてゐた跡でありますかね。
 多分此處が親柱の跡なのでは無いでせうか。

 今ではすつかり綺麗に切落されて居りまして、當時の面影は全く御坐いません。
 此方下流側にも何か標識の跡が御坐いました。

 して、親柱の跡は確認出來ませんでした。
 翼壁。
 今時の施工らしく、橋脚は完全に撤去されて居り、其痕跡は全く御坐いません。

 潛水して確認して見れば何か在るのでせうか。

 では左岸側へ移動致します。
 兩國橋の袂、木須川の右岸側から橋臺を望みます。

 現在此方左岸側は完全に道路と分斷されて居りました。
 登つて見ました。

 完全に廢道の眺めであります。

 此方では親柱の痕跡は分りませんでした。
 右岸側橋臺を見ますと、漁業權の境界が書いて有りました。

 扨此方、航空冩眞で見ますとゲルバア桁の橋だつた樣でありまして、竣功は昭和十二年だつた樣であります。
其から現在の新那珂川橋を含む新道が開通する平成四年迄供用されて居りました。

 まあ、昭和の末期に拙は自轉車で渡つた事が御坐いまして、感慨深さも一入なのでありますが、時代の流れと共に撤去されて仕舞のは仕方の無い事でありますね。

 不取敢、懐しい思ひ出に滲れましたので大滿足であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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