2675年 3月 17日 探訪
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此方は栃木縣道二三三號線の橋であります。 グウグルの航空寫眞で見て、如何しようか迷つてゐた江川界隈の探索を決意させて呉れた物件でもあります。 まあ、ぱつと見に西暦1965年前後頃だらうかと云ふ感じなのでありますが、如何な物でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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中井上橋。 左岸側、相變はらず素敵な石積であります。 と云ひますか、江川、「エガハ」では無く「エカハ」なのでありますか。 確かも少し下流側の何處だつたかな、其方では「エガハ」の表記だつた樣な氣がしたのでありますが、まあ良いや。 |
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江川。 右岸側の親柱、二本共綺麗な状態であります。 して、此方の橋の排水桝も擂鉢状であります。 |
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で以て、流れを良くする爲か、放射状に輕く溝が彫つて有ります。 |
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高欄は二本の鐵管を使用し、桁毎に分割されてゐる型でありました。 併し斜にする意匠、喜連川町の 【葛城大橋】 に似て居りますので、多分同年代頃の橋だらうと推察致します。 では、左岸側へ移動致します。 |
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中井上橋。 ううむ、假名で讀の銘板を期待したのでありますが、之は兩岸で對象な作りかも知れません。 親柱の状態、此方も綺麗でありますね。 |
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江川。 はい、竣功年度が知り度かつたのでありますが、殘念であります。 さう、右岸と左岸では護岸の角度が違ふ樣な氣がするのでありますが、如何でせうか。 |
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此方は右岸の護岸なのでありますが、川面迄の傾斜が緩いと思ひます。 此處江川がさうだと云ふ譯では無いのでありますが、河川改修をして橋を架替る時、場合に因つては片側の護岸や鏡臺を其儘利用して、 片側だけ作り替るだけと云ふ場合も有るさうなのであります。 でありますので、舊護岸を其儘利用した場合、片側だけ石積で、片側は混凝土塊團の護岸に成ると云ふ場合も有ると云ふ事であります。 と云ふ事で、此處と前囘の橋の場合、角度が兩岸で違ふ事から、多分でありますが、傾斜が急な方は舊來の護岸を其儘利用してゐるのかも知れ無い、 と最初は思つたのでありますが、航空冩眞を確認致しますに、舊橋と位置的にはほぼ一緒でも河川、道路共に福音も角度違ひましたので、 誤差の範圍と見るのが妥當と云ふ事なのでせうか。 餘にも違ふと思ふのでありますがね。呵呵 |
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して、桁にも工事銘板が無く竣功年度が不明なのでありますが、航空寫眞で確認致しますに、昭和卅八年には舊橋、舊河川の儘で、
昭和四四年には現在の姿に成つて居りますので、最初の豫想通り、昭和四十年前後に架橋された物件かと思はれます。 して、今にして思へば、此寫眞で右岸上流側の親柱の上に寫つてゐるのでありますが、縣道改修記念碑が在りましたので、 ちやんと撮つて措けば良かつたと今更乍に後悔して居ります。 實際左書でありましたので其だけで興味半減し、確か昭和四(不明)年とか書いて有つた樣な氣が致しまして、へええと思つて其儘だつた樣な氣がするのであります。 でも一寸悔しいので後日石碑を見て來ました處、昭和四十年と書かれて居りました。 と云ふ事で、桁や橋脚の意匠からしましても、其で竣功年は間違ひ無いと思はれます。 多分。 以上、御附合有難う御坐いました。 |