2676年 9月 5日 探訪
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此方は栃木縣道十號線の田野倉交叉點から栃木縣道二三三號線を東に進む事約八百米程の處、荒川に架る橋であります。 ぱつと見には新しい感じの高欄、地覆等から今時の橋だらうと思つて仕舞勝ちでありますが、良く見れば古を感じさせる親柱、後から作られた歩道橋が在る事から、 實は結構其也の年代の橋では無いかと思ひ、じつくりと見てみる事にした次第であります。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行きませう。 |
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荒川。 モダアンな曲線と、昔から不變と思はせる縱型の銘板の組合せ、其に親柱内側に附られてゐる工事銘板が如何にもな年代を覺えさせて呉れて居ります。 併し高欄、元々は親柱と同じ高さで作られてゐたのでせうね。 思ひますに、混凝土製の柱を二本使つた意匠、若くは 【鹽谷町佐貫 觀音橋】 の右岸側の桁の高欄の樣な意匠だつたのでせうか。 |
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併し此曲線を形作る型枠の縱縞が、最早藝術的領域だと思ふのでありますが如何でせうか。 直線部分とは幅が違ふと云ふのが素晴しいと思ふのでありますが。 |
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成程、昭和卅二年十一月竣功でありますか。 併し此ゴシツク體共違ふ素敵な字體が、如何にも戰後昭和と云ふ感じで良い雰圍氣であります。 |
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しんあらかわばし。 此方平假名も良い字體であります。 此上下の「し」の字體が又何共不云惚れ惚れして仕舞ます。 とは云へ、「ば」の字が壞れて仕舞つて居りますね。 |
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因に、親柱の裏側は斯樣な感じであります。 多分往時は地覆共一體感の有る意匠だつたのでは無いかなあと此方側を見て思ひました。 |
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伸縮裝置諸共舖裝が盛られて居りまする。 |
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横から眺めますと、成程、流石PCTでありますね、三徑間の橋であります。 併し成程成程、斯樣な感じがPCT桁の姿なのでありますね。 では、左岸側へ移動致します。 |
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橋脚の型枠の模樣も素晴しいであります。 併し、左右對稱の位置に桁が載つてゐる譯では無いのでありますね。 |
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新荒川橋。 をゝ、草冠が素敵な字體であります。 |
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あらかわ。 工事銘板が親柱の内側に附てゐる爲か、竣功年度の銘板は無い流儀でありますね。 併し嗚呼、之で正假名遣ひでありましたら尚素晴しい事でしたでせうに。 |
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して、若かして舊橋の名殘は無いかと思ひ川牀を觀察してゐたのでありますが、遣りました、左岸側に一つだけ橋脚跡を發見出來ました。 |
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航空冩眞を確認致しますに、昭和廿二年頃に一旦橋が流出し度のか、若干下流側に假橋の樣に見える物が架設されて居りまして、
昭和廿三年には元の此方の位置に新に架け直されて居りますので、之は其時の名殘だと思はれます。 唯、其時のが十徑間程の橋に見えますので、若かして木橋だつたのでせうか。 だと致しますと、此方は其橋脚の川牀の混凝土製の土臺だつた部分と云ふ事でありますよね。 最早尖頭型だつたのかとか如何なのかの判別は難しいでありますが、ずつと此儘殘つてゐて欲しいであります。 勿論、今現在の此方の橋と共にでありますが。 以上、御附合有難う御坐いました。 |