2674年 1月 2日 2676年 9月 5日 探訪
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此方は栃木縣道十號線の高瀬大橋から、直線的には約二キロ程荒川を下つた處に架る橋であります。 まあ、ぱつと見には別段普通の葉なのでありますが、此直隣に手荒く凄い物件が在るのでありますが、先づは此方、現役物件から見て行かうと思ひます。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行きます。 |
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もりたばし。 無駄に濁りを讀ま無く成つた現代依りも、斯うしてきちんと濁るべきは濁る方が日本語らしいと拙は思つて仕舞ふ年代であります。 まあ、親柱の意匠は質實剛健と云ふ處でありますね。 奇を衒ふ譯でも無く、本當に機能性だけを重視してゐる姿と云ふべきでせうか。 |
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昭和四十六年三月竣工。 此處迄大きい、と云ひますか、二段に分て表記されてゐる竣功年度の銘板を見たのは初めてかも知れません。 何か、橋が竣功した事に對する強い思ひ入れが有るのでせうか。 |
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五徑間の鈑橋であります。 橋脚がモダアンな感じでせうか。 今更乍、何か、西暦1970年代に成ると其以前とは亦違ふ感じに成る物でありますね。 塗裝は後年に成つてからの物と思はれますが。 |
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橋臺附近を見ますと、翼壁、擁壁、何方でせうか、が石積で出來てゐるのが古風と云へば古風であります。 もう此年代でありましたら混凝土塊團造でも良い頃合の樣な氣がし無いでも無かつたのでありますが、一寸其が意外でありました。 併し橋臺の幅もほぼ必要最小限程度でありまして、親柱部分は張出す樣な形に成つてゐるのがアレですね、 多分經費削減とか高效率化とか、さう云ふ事なのでせうか。 と云ひますか、親柱の裏側が斯う云ふ具合に成つてゐたのが意外でありました。 矢張親柱も高效率が求められる樣に成つて來てゐる年代と云ふ事なのでせうか。 |
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併し之、高欄が交換された形跡が無いので、元から斯う云ふ高欄だつたと云ふ事で間違ひ無いのだと思はれます。 さうでありますと、結構モダアンな橋だつたと思ふのでありますが如何でせう。 |
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排水桝のは、排水目皿は鑄物で出來た物でありました。 結構大きいでありますかね。 では左岸側へ移動致します。 |
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森田橋。 |
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荒川。 流石に交通量が少いからでせうか、親柱は四本共良い状態の儘でありますね。 |
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して、森田橋の銘板が附てゐる親柱の内側には、此方の橋に寄せる斯う云ふ想ひが記されて居りました。 成程、之ならば色々と納得であります。 して、【森田橋跡】に續きます。 以上、御附合有難う御坐いました。 |