2675年 7月 14日 探訪
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輕トラで栗生澤添ひをのんびり走つてゐました處、偶然に發見致しました。 何か凄く無いでせうか、ちやんとした立派な混凝土橋脚が建つてゐる上に木橋でありますよ。 先づ間違ひ無く人道橋だつたと思ふのでありますが、其にしましても立派な物であります。 |
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之は橋臺なのでせうか。 若かしますと、此處に材木を突込んで橋脚に固定する、したのかも知れませんが、今では木が痩せ細つて下に落ちてゐる、と云ふ事でせうか。 と云ひますか、何か田圃からの用水の排水口にも見え無くも無い氣が致しますが、橋の上に態々流しませんよねえ。 |
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對岸の樣子は分りません。 唯、混凝土塊團の護岸と、何と無く同樣の構造物が在りさうな樣な氣がし無いでも無い、と云ふ感じであります。 何か、曖昧な表現しか出來さうに無いであります。 |
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して、之はアンカアボルトで固定してゐたと云ふ事でせうか。 うゝむ、何か色々と橋を更新する時の事考慮されてゐたのかさうで無いのか、良く分ら無いであります。 |
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年代でありますが、
【益子町上大羽 名稱不明橋三本】
同樣、昭和四十年代前半の竣功かと思はれます。 昭和四五年の航空寫眞では"だらう"と思はれる物件が確認出來ますし、昭和四九年の寫眞では確實に當該物件の立派な姿が確認出來るのであります。 本來でありましたら架替され度りしてゐる筈だつたのでせうが、環境や社會情勢の變化に因り、更新される事無く朽て仕舞つた、と云ふ處でせうか。 まあ、木橋が曾て在つたと云ふ事が分つただけでも、價値有る物件だと思ひます。 以上、御附合有難う御坐いました。 |