2678年 2月 13日 探訪
![]() |
此方は國道一二三號の小宅交差點から二百米程南西側、小宅川に架る橋であります。 一應町道八四號と益子町の橋梁長壽化計畫には書いて有りましたが、まあ、所謂農道の橋でありますよね。 而も輕トラが通る程度の物だと思ひます。 まあ、此程度の橋は其處等中に澤山在りますので取上る程の物では無いと思ひますが、 【上河内村冬室 名稱不明橋群】 の樣な事例も御坐いますから、不取敢此方右岸側から見てみました。 |
![]() |
横から見ますと、牀版橋でありました。 而もパイル形式の橋脚が有る二徑間の橋であります。 して、珍しい事に此規模の橋に工事銘板が附て居りますよ。 |
![]() |
日向橋。 成程、橋名が分り之は有難いであります。 因に、読みは「ヒナタバシ」であります。 昭和三十三年三月竣功。 成程、さう云ふ年代でありますか。 併し興味深いであります、文字の割振の升目が其儘見えると云ふのは。 まあ、是は此で意匠的にも素敵だと思ひます。 |
![]() |
橋脚同樣パイル形式の橋臺と桁の關係。 |
![]() |
パイル形式の橋脚。 此方と銘板が取材對象と成る理由でありました。 補強は後年に成つてからでせうね。 |
![]() |
パイル形式の橋臺。 【益子町益子 無名廢橋】 とは似てゐる樣で若干違ひます。 |
![]() |
桁は結構ずれて居ります。 |
![]() |
左岸側から見てみました。 橋脚は結構痛んでゐる樣であります。 尤も、架替も視野に入つてゐる樣でありますから、其迄何とか保てば良いのでせう。 不取敢、現存してゐる内に昭和の良い頃の物件が見られて良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |