益子町大澤 下町橋

2678年 9月 25日 探訪

 此方は 【益子町大澤 上町橋】 依り四百米弱程大羽川を下つた處に架る橋であります。

 して、此處は以前にも通つてゐるのでありますが、御覽の通り今時のガアドレイル高欄でありますので、今時と云ふか、昭和五十年以降の橋に違ひ無いと思つてゐたのでありますが、 益子町の橋梁長壽化計畫を見まして、實は上町橋以上に古い物件だつたと知り、今囘の再訪と相成つた譯であります。

 因に、昭和卅四年竣功でありました。

 扨、では此方右岸側から見て行きませう。
 當然の樣に橋名も河川名も不明であります。

 して、此方側は元から斯う云ふ具合に曲り易さに考慮した具合に成つてゐた樣であります。

 何か、ガアドレイルが後附つぽい感じであります。
 柱にバラつきが御坐いますし、多分元からの設計でありましたら斯う云ふ具合に幅員を氣にした感じには無成と思ふのであります。

 其に第一、地覆がもつとしつかりとした造に成つてゐると思ひますし。
 横から見ました處、パイル形式の橋脚を持つ、二徑間の混凝土牀版橋でありました。

 して、えゝ、間違無くガアドレイル高欄は後年に成つてから附られた物でありますね。

 と云ふ事は、元々は高欄の無い、  【益子町小宅 日向橋】 の樣な橋だつたのでせうか。
 も少し下の方から眺めて見ますと、橋臺も橋脚同樣の物と云ふ構造でありますかね。

 橋脚のパイルの間隔が等間隔では無いのが"らしい"感じで素敵であります。
 排水桝、と云ふか單に排水管と云つて良いのだと思ふのでありますが、地覆側に附て居りました。
 其也の太さの管に見えますが、25cmの長靴と比較しますと此程度の物であります。

 では左岸側へ移動致します。
 此方側にはガアドレイルの足の部分が増設されて居りました。

 併しまあ、良く器用に此方の袖ビイムに打當つたなあと感心致します。
 まあ正直、歴史的物件と云ふ感動は無かつたでありますかね。

 唯、實は此方、栃木縣道一號線の所謂舊道に當る道筋でありまして、明治の頃、否、多分もつと前からの街道筋だと思ふのであります。

 さう云ふ處で、當時からの道筋にほぼ忠實な部分に架橋されてゐるのだと思ひますと、感慨も一入に成るのでありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る