益子町益子 百目鬼橋

2678年 9月 11日 探訪

 此方は 【益子町益子 無名廢橋】 依り五百五十米程百目鬼川を上つた處に架る橋であります。

 も少し分り易い書方を致しますと、國鐵眞岡線益子驛の北東約五百米、國道一二一號との中間地點と云ふ感じであります。

 ぱつと見に、整備された町道が此方の橋の部分だけ狹く成つて居りまして、間違無く此處がボトルネツクに成つてゐると思はれますが、未だ架替計畫は無い樣であります。

 さう云ふ感じでありますので、幾ら今時のガアドレイル高欄が附てゐましても、絶對的に結構な年代物だらうと云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 うむ、多分元から親柱は無かつたのでせうね。

 勿論、橋名初め、河川名等の表記は皆無であります。

 でありますので、以前に一度通つた時には取材漏れしたと云ふ譯であります。呵呵
 して、元々の高欄の跡を利用して、今のガアドレイル高欄に更新されてゐる樣であります。

 多分元々は 【今市市長畑 第一山の神橋】 の樣な柵が附てゐたのでせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 左岸側を基準に附てゐる樣でありますから、右岸側では之だけ穴の位置が違く成つて居ります。
 何か下流側はもつと違ふのでありますが。
 横から見ました處、二徑間の牀版橋でありました。

 此川幅で二徑間と云ふのは、何か戰前物件的な徑間でありますね。
而も川面からの距離も近いでありますし。

 して、橋脚の型枠跡が細いのも昭和卅年代迄の物件らしく素敵であります。

 扨、竣功年でありますが、益子町の橋梁長壽化計畫を見ますと昭和卅年竣功でありました。
成程、さうでありましたら斯う云ふ構造も納得であります。

 まあ、何か可愛らしい街中の橋と云ふ感じで、良い物見られました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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