2679年 7月 15日 探訪
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此方は
【黒磯市板室 澤名橋】
依り七百米度道形に進んだ處、小澤名川に架る橋であります。 まあぱつと見 【黒磯市板室 篭岩橋】 にも通ずる典型的なガアドレイル高欄の橋でありまして、先づ如何にもな年代の物件かと思ひますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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小沢名川。 先般の澤名橋が架る澤名川の支流でありますので、斯樣な河川名なのでせう。 冩眞奧に見える左岸側、古さうな石積の護岸と、川牀に下りられさうな感じに見え無くも無いでありますが、如何やら其邊に舊橋が架つてゐた樣であります。 |
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境橋。 渡つた先、左岸側は那須町高久乙でありますので、斯樣な命名に成つたのだと思はれます。 併し親柱、凄い曲り方をして居りますが、何でせう、自動車でも打當つたのでせうか。 其にしましてもガアドレイル高欄は無事な樣でありますが。 |
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高欄は初代のガアドレイルでありますので、高度經濟成長期、と云ふ處でありますかね。 併し、何故に中央部分だけ錆てゐるのでせう。 では左岸側へ移動致します。 |
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さかいばし。 此方も中々の傾具合でありますので、若かしますと落石等で、でせうか。 嗚呼、ガアドレイル柱は角では無く丸でありますので、篭岩橋依りは新しい年代、多分昭和四十年代に入つてからの竣功でせうか。 |
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昭和四十五年十二月十五日竣功。 嗚呼、矢張さう云ふ頃でありましたか。 併し何日と云ふ處迄表記してゐるとは。 奧の護岸、石積部分が見えますが、舊橋の痕跡は此處で見る限り皆無でありました。 |
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横から見ました處、鈑橋でありました。 ん、と云ひますか、親柱が或る意味橋臺から獨立してゐる樣に見え無くも無い感じであります。 でありますので折る迄は行か無く共、曲り易かつたのでせうか。 まあ不取敢、如何にもな年代の物件と云ふ事で不見で通過するのもアレでありますので、記録出來て良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |