黒磯市百村 木の俣橋 【二】

2679年 10月 1日 探訪

 此方は 【黒磯市百村 木の俣橋 【一】】 の隣、現在の栃木縣道三六九號線の橋であります。

 普通他の縣道との重複區間でありましたら若番側に成り、本來でありましたら二六六號線に成る筈だと思ふのでありますが、此方は違ふのであります。

 平成初期の地圖を見ますと此方、栃木縣道一八九號線に成つて居りまして、深山ダムの少し先で終はり、其先は大川林道に成つて居りました。
其が福島縣迄縣道指定に成つた物でありますから、福島縣側と番號を統一する兼合だつたのでせうか、三六九號線に成り一八九號線は缺番と成つた樣であります。

 多分、其一八九號線の時の名殘なのでせうね、此方が三六九號線に成つて居りますのは。

 と云ふ事は扨措き、ぱつと見には如何にも昭和四十年前後と云ふ雰圍氣でありますが、其實如何でせうか。
さう成りますと舊橋竣功から十年前後しか經過してゐ無いのに附替に成つたと云ふ事なのでありますが。

 まあさう云ふ事は措いとゐて、不取敢此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 木の俣橋。

 何かやけに新しい、絶對的に親柱内側に橋歴板が附てゐる年代では無い、事實型枠跡からも如何見ても新造されてゐる親柱でありますが、銘板も新しさうであります。

 若かしますと、何だ彼だで損傷が激しかつたのが、銘板が盜難若くは消失し度のを切掛に作り直されたのでせうか。

 橋歴板は當時物の儘の樣でありますが。
 完成が昭和四二年一月と成りますと、竣功は三月としてゐる可能性が高いでありますかね。

 併し本當、舊橋竣功から僅か七年後に此方を建造し度と云ふのは、色々と推察される物が御坐います。
 木の俣川。

 矢張親柱は新造されてゐる樣でありますが、此方の銘板は元からの物でせうね。
筆記體の字體が違ひます。
 高欄は柵の樣な、正に年代相應な意匠の物であります。
 排水桝。

 長靴が汚れてゐるのは、相變はらず舊橋は泥濘んでゐるからであります。呵呵

 では左岸側へ移動致します。
 きのまたはし。

 さう、新橋は濁ら無いのであります。
其意圖は一體何なのでせうか。

 其共、さう云ふ細い事は如何讀んでも良いと云ふ事でせうか。

 其と、何か元の親柱の姿が想像出來さうな舖裝跡であります。
 きのまたかわ。

 唯々。
 横から見ました處、一徑間の鈑橋でありました。
多分之は箱桁では無いと思ふのでありますが、詳細は不明であります。

 併し、舊橋が勿體無いので上下線別の橋にし度方が經濟的だつたでせうにと思つて仕舞のでありますが、前後の線形等から其間から自動車が轉落して仕舞懸念して新造され度のでせうか。

 まあ基本的に鹽那道路との兼合等、一大觀光道路としてのアレだつたのでせうから、此處は全て新造し度方が好印象、的な感じだつたのでありますかね。
飽迄も拙の推察に過ぎ無いのでありますが。

 まあ併し、バブル依りずつと以前の觀光開發を象徴する樣な物件でありますね。

 因に、御覽の通り舊橋は「きのまたがわ」と表記されて居ります。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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