黒羽町須賀川 新市場橋

2677年 3月 7日 探訪

 黒羽町の雲巖寺方面から茨城縣大子町方面に拔ける栃木縣道十三號線。
其途中の明神トンネルには舊道に當る明神峠が在る事から、其先にも舊道部分が在り、球橋も在るに違ひ無いと思ひ遣つて來ました。

 さうして案の定だつたのでありますが、新道に當る此方も如何して、御覽の樣に中々の雰圍氣の橋が在るではありませんか。

 と云ふ事で先づは此方、須賀川地區の大道澤川に架る新道側の橋を右岸側から見て行かうと思ひます。

 因に、右手に見えてゐるのが舊道側の橋であります。
 昭和三十六年十二月。

 手荒く見辛いでありますが、混凝土に直に彫つて有りました。

 併し成程道理で、良い年代の橋でありますから良い雰圍氣も納得であります。
 新市場橋。

 讀みは「シンイチババシ」の樣であります。

 併し何故に市場と云ふ命名なのでせうか。
國土地理院の地圖を見ますと、須賀川地區の中での市場地區の樣でありますが、元々何かしらの取引市場でも在つたのでせうか。
 排水桝は直に管へ流れる型の樣でありますが、現在では舖裝が盛られて居りますので元からの意匠は不明であります。

 まあ、多分に此方 【南那須町下川井 江川橋【一】】 の樣な意匠だつたのでは無いでせうか。
 高欄は混凝土管を二本使用致しました意匠でありますが、其柱の使ひ方が獨特と云ひますか、斯う云ふ姿の物は初めて見ました。
何と云ふのでせう、或る意味戰前物件を彷彿とさせる樣な感じに見え無くも無いと云ふ印象でありました。

 では左岸側へ移動致します。
 大道沢。

 おや、現在では大道澤川と云ふ樣でありますが、此方の竣功當時には未だ澤の儘だつた樣であります。

 斯う云ふ具合に時々河川名も變更に成るのか、現地と現在の情報が違ふ場合が御坐いますのが困ります。
 新市場橋。

 うむ、何れか一本は假名表記でありましたら嬉しかつたのでありますが、まあ、「橋」の讀み濁點の有無等は些細な問題だと云ふ事でせう。
 横から見ますと、拙の最も大好きな混凝土T字桁であります。

 折角川牀にも下りられる樣でありますので、下からも覗いて見ませう。
 嗚呼、流石T字桁と云ふ感じで良いでありますね。
 最初型枠の木が其儘殘つてゐるのかと思つて仕舞ましたが、勿論其な事は無く、型枠の木の痕の樣であります。

 斯う云ふ具合に型枠の痕が模樣に成つてゐるのが如何にもと云ふ感じで好きであります。
此方は斜橋でもありますので、型枠を組んだりするのにも色々と工夫してゐたのであらうなと思へる痕だと感じます。

 多分に此方は當分道路擴幅等は無いのかも知れませんが、此儘歴史的物件に成る迄殘つてゐて欲しいなと思へる物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る