黒羽町北野上 塚木橋

2678年 3月 13日 探訪

 此方は 【黒羽町北野上 寅助橋】 依り六百米程野上川を上つた處に架る橋であります。

 矢張林道の橋だらうと思ふのでありますが、否、だからなのか、此方も趣の有る橋でありますし、多分に竣功年も近い、若くはも少し新しいのかなと云ふ雰圍氣でありますが、 其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 此方の縁石は質實剛健と云ふ感じで、正に混凝土塊團と云つた物が置かれて居ります。
 右側は一寸整列度合がアレでありますが、多分長年の風雪で斯う成つた事なのでせう。
 野上川。

 可也背丈の高い親柱であります。

 拙が身長五尺五寸程度、まあ165サンチから167サンチ程度なのでありますが、其で眼前にデジカメを構へて撮つて之でありますから、大凡の高さは想像出來るかと思ひます。
 塚木橋。

 一寸見辛いでありますが、さう書かれているのを確認致しました。

 して、命名の由來でありますが、矢張地圖を見てもさう云ふ地名では無かつたので、不明であります。
 高欄は混凝土管を二本使用しました意匠であります。

 でありますが、親柱の高さに合はせてか、全體に高い、今時の基準にも此儘で合致しさうな高さであります。

 では、左岸側へ移動致します。
 昭和四十一年一月竣功。

 成程、矢張少し新しい橋でありましたか。

 銘板の意匠も簡素な、何方かと云ふと現代的な感じに成つて居りますものね。
 つかぎばし。

 林道の橋とは云へ、全ての銘板で欲しい情報が全て得られると云ふのは素晴しいと思ひます。

 町外の人が一體何れ位見て呉れるのかアレでありますが。
 横から見ました處、此方も混凝土T字桁でありますね。

 一般的に此年代、昭和四五年頃迄は石積の護岸が主流な筈だと思ふのでありますが、此方はさうと云ふ譯でも無いのでありますね。

 寧ろ自然の儘で架橋の爲の盛土の方が重要だつたと云ふ處でせうか。

 當然の樣に此方のも舊橋の痕跡ば御坐いませんでした。
 此盛土の擁壁、多分もう混凝土塊團の方が低豫算で工事が出來ると云ふ時代に成りつつ有つたと云ふ事でせうか。

 併し之、縁石つて路肩に何で固定してある物なのでせう。
まさか置いて有るだけ、と云ふ事では無いでありますよね。

 併し中々に趣の有る橋でありますが、多分其は山間の景色でもあるからなのでせうかね。

 此方も此儘何時迄も殘つてゐて欲しい物件であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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