2678年 3月 13日 探訪
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此方は
【黒羽町北野上 川藏橋】
依り六百米程國道四六一號を東進した處、野上川に架る橋であります。 まあ、復野上川かと思ふ次第でありますが、黒羽の街中以降、國道四六一號は暫く野上川沿を平行する樣に進むので致方無しであります。 扨、ぱつと見で今迄に無い意匠の親柱が特徴的な橋であります。 其と、冩眞左側は如何見ても舊線形でありますから、全體で如何成つてゐるのかも知り度い處であります。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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階段状の親柱が素敵なのでありますが、殘念乍無記名であります。 で以て、正直な處、此姿からは竣功年の想像は附ません。 |
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路面の罅からしまして、親柱は橋臺側に有る樣であります。 高欄の意匠は大凡昭和廿年代風と云ひますか、下手すると戰前物件の風合でせうか。 因に、高欄の空間は五箇所であります。 |
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擴幅側の高欄の空間は六箇所であります。 まあ、一枚目の冩眞の通り如何見ても河川に對する角度が違ひますから當然の事だとは思ひます。 併し、路面の罅から見ますと、冩眞手前の横斷歩道の部分で舊線形側と繋つてゐる感じでせうか。 |
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擴幅側も親柱の意匠は統一されて居ります。 でありますが、此方は高欄の柱の一部としてでありまして、親柱に當る部分は桁の上に載つて居ります。 では左岸側へ移動致します。 |
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まあ、斯う云ふ感じでありまして、且つ無記名であります。 |
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横から見ました處、牀版橋でありました。 して、橋臺の繼目は確認出來ませんでした。 もつと奧の方を見無いと駄目だつたのでありますかね。 |
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當然の樣に此方も無記名でありました。 其と、冩眞を整理してゐて此方側の桁の冩眞を撮つてゐ無い事に氣附たのでありますが、確か同じ牀版橋だつたので撮ら無かつた樣な氣が致します。 若くは、直隣の水道管で良く見え無かつたか、何かさう云ふ理由だつた筈であります。 扨、氣に成る竣功年でありますが、元の線形部分は完全に不明であります。 併し此雰圍氣でありますから、多分昭和廿年代、若くは戰前、昭和十年代と云つた處でせうか。 して擴幅側でありますが、昭和四十年代前半頃、と航空冩眞では判斷出來ました。 もつとはつきりと此方の橋の事が分れば依り一層面白かつたのでせうが、流石に之では難しい處であります。 唯、面白い意匠の親柱でありますので、見られて良かつた物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |