2681年 11月 30日 探訪
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此方は
【栗山村野門 舊野門橋跡】
依り栃木縣道廿三號線を進む事約一キロ、左手に見える大事澤に架る橋であります。 一見すると、今でも現役の人道橋に見えますが、如何にも廢物件と云ふ感じであります。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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何しろ、階段部分は削られて居りますし、何處共繋つてゐ無いのであります。 多分之は現在の栃木縣道廿三號線を建設するに當り、護岸整備の爲に壞されたのだと思はれます。 |
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良く見ますと、左手の高欄の柱には銘板が附てゐたであらう跡が御坐います。 棒ストリイトビウを見ますと、何と無く"大事沢橋"と書かれてゐる樣な感じでありますが、まあ、多分さうだつたのであらうと思はれますが如何でせう。 併し、エキスパンドメタルの牀版と云ふのは中々に迫力であります。 今現在體重を掛て大丈夫なのでせうか。 |
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斯うして見ますと岩に續いてゐる樣な感じなのでありますがね。 |
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横から見ますと、一徑間の鈑橋であります。 まあ、人道橋でありますから、一徑間でも充分な強度を保つてゐるのでせう。 |
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右岸側はちやんと陸地に繋つてゐる樣であります。 |
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其奧に續く道形が見えますが、其が尾根から下りて來た昔から川股へと續く道、栃木縣道廿三號線の前身に當る道の樣であります。 古地圖を見ますと、舊野門橋を渡つたら其儘直進して栗山東照宮へ向ひ、此方の橋を渡り萱峠を通り、縣道廿三號線の舊道部分へ通じてゐた樣であります。 して、舊野門橋を渡つてから右に折てゐた縣道廿三號線舊道側は、觀光道路として整備されたと何處かで讀んだ記憶が御坐います。 因に此方の竣功年でありますが、當然の樣に不明でありますが、如何やら昭和五六年頃は吊橋だつた樣でありますので、其以後だと云ふ事だけは確實だと思はれます。 して、現在の廿三號線が出來る迄活躍してゐたと云ふ事でありますね。 まあ、歴史的街道の名殘が見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |