栗山村土呂部 永草橋

2680年 8月 18日 探訪

 此方は 【栗山村土呂部 一渡戸橋】 依り栃木縣道二四九號線を湯西川方面へ進む事約二キロ程、オホツパ澤に架る橋であります。

 ぱつと見の雰圍氣もさうでありますが、多分に一渡戸橋とほゞ同時期に整備されてゐるであらうと思はれるのでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 永草橋。

 何處かで見た事有る樣な親柱でありますが、まあ普通と云へば普通な親柱でありますね。
銘板も横書で、如何にも最早戰後では無いと云ふ感じであります。

 唯、橋名の由來は分りませんでした。
 親柱に橋歴板が附て居りましたので、間違無く西暦1960年代物件だらうと思ひましたら案定でありまして、昭和四一年十二月完成でありました。

 正字體の「縣」の字が泣かせます。

 と云ひますか、三年も一渡戸橋依り遲い完成なのでありますね。
 オホッパ沢。

 うむ、見辛いでありますね。
 澤つて如何云ふ意味で附てゐるのか謎な名前が多いでありますが、此方もオホツパつて如何云ふ意味なのでせう。

 因に、現在ではオツパタ澤と云ふ名稱に成つて居ります。
と云ふ事は、オホツパも漢字表記に致しますと「乙畑」なのでせうかね。
 高欄は鐵の角材を二本使用しました、如何にも年代を感じさせる意匠であります。

 では左岸側へ移動致します。
 永草橋。

 兩岸で對稱な銘板は此年代の御約束でありますね。

 草冠がちやんと正字體の分れた物なのが嬉しいであります。
 オホッパ沢。

 之でも舊橋から致しますと趣は少いのでせうね。
現在では十分に良い雰圍氣でありますが。
 横から見ました處、二徑間の混凝土、之はRCTでせうね、でありました。

 まあ、斯う云ふ年代の橋が多く見られると良いなと思つて居りましたので大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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