栗山村日向-日蔭 竹ノ上橋

2680年 12月 15日 探訪

 此方は 【栗山村日向-日蔭 竹の上橋】 の一キロ程手前、鬼怒川に架る、架つてゐたかな、今尚主索は架つてゐる栃木縣道廿三號線の舊道に當る廢橋であります。

 多分有名サイト樣が公開されてから一躍有名に成つたのでは無いかと思はれますし、當然有名物件でありますから當初拙が取上る迄も無いと思つてゐたのでありますが、 まあ一應栃木縣内の橋を扱ふ以上、 【黒磯市本郷町、橋本町-那須町高久甲 晩翠橋 【一】】 も遣つた事でありますし避て通れ無いと思ひ探訪した次第であります。

 まあ、皆樣既に御存知の通り戰前物件でありますし、斯樣に周圍は草生して居りますので、自づと秋口から初春に掛て迄が丁度良い季節かと思ひます。
でありますので雪降る時に遣つて來ました。呵呵

 因に初訪問は丁度半年前、六月十五日であります。
 其時の樣子が此方であります。
之ではとても無理と判斷致しまして、半年後の探訪と相成つた次第であります。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 三本に分れた主索、一本の太さは二寸程と云ふ處でせうか。
 橋臺近邊は崩落が進み危險な状態であります。

 して、皇紀二六八〇年(西暦2020年)暮の時點で、もうほとんど牀版は殘つて居りません。

 主塔には銘板が見えますね。
 昭和十五年十二月竣功。

 此方も紀元節に合はせての物件でありますね。
 竹ノ上橋。

 橋名は此方左岸側の地區名からであります。
 "橋"は變字體表記でありました。

 では右岸側へ移動致します。
 可也草生して居り、且つ石が散亂して置かれ如何にも廢道と云ふ感じでありますが、右岸側からの眺めは往時を彷彿とされて呉れます。

 アンカレイジは地中に埋られて居りますので大きさは把握出來ません。
 如何にも戰前物件らしい意匠の主塔上部であります。
 下部も手荒く綺麗な状態であります。
 紀元二千六百年十二月竣功。

 河川名では無く、而も"皇紀"ではなく"紀元"と表記する邊に當時の情勢が感じられます。

 彼から八十年でありますか。
 之は高欄の柱の名殘でありますね。
 本當、餘にも状態が良いので勿體無いと云ふ感じであります。
 たけのうへばし。

 現在の橋とは違ひ、此方は日本語らしく濁ります。
 橋臺、桁が載る部分を良く見ようと思つたのでありますが、一寸良く分りませんでした。
 橋から先は結構な勾配であります。
 道路の幅員は大型自動車一臺分で一杯と云ふ感じであります。
正面の輕トラは拙の愛車でありますが、現在の規格の輕自動車でも擦違ひは無理だと思ひます。

 扨、では新橋が出來た後でも何時頃迄渡河可能な状態だつたのか氣に成る處でありますが、航空冩眞で確認出來るのは昭和五十年迄でありました。
其時には未だ牀版が殘つてゐる事が確認出來ましたので、多分でありますが昭和中は何とか渡れる状態だつたのでは無いかと推察致します。

 まあ、一度人が離れると建物もさうでありますが、殊木材は一氣に劣化が進みますので、實際の處は昭和五十年頃でも危かつたかも知れませんが。

 因に、此方の先代の痕跡は在るのかと思ひましたが、古地圖を見ますと何囘も渡河地點が變更されてゐる樣でありますので、此處では此方が初代の樣でありました。

 まあ、半年待つた御蔭で手荒く良い物が見られて大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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