2680年 12月 15日 探訪
![]() |
此方は
【栗山村川俣 新熊野澤橋】
依り栃木縣道廿三號線を進む事譯二五〇米程、鬼怒川、と云ふ依りも川俣湖と云つた方が適切な氣が致しますが、其處に架る橋であります。 云ふ迄も無く川俣ダム建設と共に架設された橋でありますのでさう云ふ年代の橋でありますが、いやあ、手荒く立派な橋であります。 久々に來ましたが、冬場は初てゞありますので中々に良い雰圍氣が樂しめさうであります。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
左側のアンカレイジには銘板が附て居りまして、記念に詠れた詩が描かれて居りました。 其依りも、此道は元々奧鬼怒林道だつたと云ふ事に驚きであります。 |
![]() |
十四本に分れた主索一束の太さは五サンチと云ふ處であります。 |
![]() |
斯うして見ますと、主塔の高さつて廿米以上有るのでせうか。 |
![]() |
此方の親柱には銘板が御坐いませんが、主塔には橋歴板が附て居ります。 |
![]() |
昭和卅七年十一月完成であります。 一寸意外でありましたのが、之だけの規模でも二等橋なのでありますね。 |
![]() |
鬼怒川。 氣候と觀光時期の交通量を考へますと、可也良い状態の儘の親柱だと思ひます。 |
![]() |
柵の樣な意匠の高欄でありますが、端の處理が御洒落であります。 |
![]() |
排水桝。 では左岸側へ移動致します。 |
![]() |
昭和37年11月竣功。 一寸見辛いでありますね。 |
![]() |
近接して撮影しました。 |
![]() |
かわまたおおはし。 此方の主塔にも橋歴板が御坐いますね。 |
![]() |
併し右岸側の物もさうなのでありますが、固定してゐる螺旋が一本だけに成つて仕舞のは伸縮や振動で脱落して仕舞からでせうか。 |
![]() |
横から見た處であります。 二枚目の冩眞で確認致しますと二鋏式吊橋と書いてありますし、資料の表記と合はせますと、多分二ヒンジ鋼補剛トラス、ストランドロオプ形式の吊橋と云ふ事で良いのでせうか。 いやあ、今迄は何氣無く渡つてゐたゞけでありましたが、斯うしてじつくりと見てみますと壓卷でありました。 又、斯樣な時期で誰も居無かつたと云ふのも雰圍氣の良さに一役買つてゐたと思ひます。 併しまあ、良く之だけの物を斯樣な山奧に作つた、作れた物だと感心致しました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |