2678年 11月 27日 探訪
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此方は
【喜連川町下河戸 宮下橋】
依り江川を二キロ半程下つた處、も少し分り易い書方を致しますと、國道二九三號の江川に架る橋依り四キロ程江川を上つた處に架る橋であります。 其國道二九三號界隈から少し上の方迄の江川、古い地圖を見ますと明治時代には既に現在の樣な直線の河川に成つて居りますので、 もつと古い時代から用水的な改修が成されてゐるのでは無いかと推察致しますが、其は同時に古くからの橋が架つてゐる、 若くは其痕跡が殘つてゐても不思議では無いと云ふ事だらうと思ひます。 事實、鹿子畑から金枝に掛ては空石積と思しき護岸も散見されますので、可也歴史的な河川風景に成つてゐると思ひます。 扨、さう云ふ江川沿をのんびり進んでゐて見附た此方の橋でありますが、ガアドレイル高欄の橋依りも古さうな佇ひでありましたが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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三角に尖つた笠石部分を持つ親柱を有して居りますが、無記名でありました。 と云ふ事は、案外新しい、多分昭和卅年代から四十年代に掛ての物件と云ふ事でせうか。 |
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上流側も同樣であります。 良く見れば尖つてゐる樣でも上部は平らに成つて居りますね。 案外凝つた造であります。 |
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高欄は鐵管を一本使用しました意匠であります。 して、親柱は橋臺側に附てゐるのでは無く、高欄の端の柱が兼用されて居りました。 併し鐵管、上部の方では無いのが中々に特徴的であります。 |
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排水桝は管其儘であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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まあ當然の樣に無記名であります。 護岸の石積の目地が埋つてゐ無いのが御分り戴けるでせうか。 |
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同上。 |
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横から見ました處、牀版橋でありました。 扨、此方は矢張知人に戴いた資料で"山の神橋"と判明致しまして、さくら市長壽命化修繕計畫を見て昭和四三年竣功だと分りました。 確に地覆から主桁に掛ての姿が昭和四十年代の物と同樣でありますので納得出來るのでありますが、何故に此方は斯う云ふ姿に成つたのでせうか。 思ふに、此方の前後、戰前からの橋が未だ架つてゐた時の意匠に成るべく合はせる樣にした爲だつたのかな共思ふのでありますが、まあ其邊は謎であります。 不取敢、良い雰圍氣の物件が見られて滿足でありました。 因に、元々直線的な道路でありましのが、きつと捕繩整備か區畫整理かで前後の線形が違く成つて仕舞つた樣でありまして、前後の道が途切た樣に成つて居りました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |