烏山町小木須 山下橋

2678年 2月 13日 探訪

 此方は 【烏山町小木須 大木橋】 依り五百米程小木須川を下つた處に架る橋であります。

 其ぱつと見の意匠から、矢張多分高度經濟成長期の物件だらうと思ひじつくりと觀察する事にしたのでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 山下橋。

 親柱は無く、高欄の橋に銘板だけ附てゐる型でありますね。

 但し銘板の材料は立派で、多分之つて黒御影石なのでは無いかと思はれます。
 山下橋。

 ほう、左右に橋名の銘板とは面白いでありますね。
でありますので、一瞬個人宅への橋なのかと思ひましたが、さう云ふ譯では無かつたので、斯う云ふ仕樣は初めて見た樣な期が致します。

 側溝が斜に成つて川に流込んでゐるのは、如何にも橋が後年に成り擴幅されましたと云つてゐる樣な感じに見受られます。
 高欄は鐵管を二本使用しました、さう、 【芳賀町芳志戸 久津方橋】 を代表例とする樣な、如何にもな年代の特徴的意匠かと思ひます。

 では右岸側へ移動致します。
 山下橋。

 成程。
 山下橋。

 はい。

 て、四枚全て橋名つて、或る意味凄いでありますよね。
 横から見ました處、此方は牀版橋でありますね。

 橋臺の横の部分、混凝土の質感から致しまして、多分舊橋時代の名殘の樣な感じに見受られるのでありますが、如何なのでせうね。
 併し川牀が凄い事に成つてゐるのであります。
此混凝土塊團で少しは流れを緩和してゐるのでせうか。

 流石土砂災害警戒區域等(土石流)であります。
 何と無く上流側からも見てみました。

 して、竣功年でありますが、之が航空冩眞を見たり色々な資料を當つても分りませんでした。

 唯、多分昭和四二年の航空冩眞では現在の幅員に成つてゐる樣に見え無くも無い感じでありますので、若かしますと昭和卅八年以降四二年迄に現在の物に架替られてゐるのかも知れません。

 併し、銘板が四枚共同一等、中々に面白い物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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