2683年 3月 28日 探訪
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此方は
【鹿沼市草久 燒山橋】
依り三キロ強程栃木縣道五八號線を北上した所、足尾澤に架る橋であります。 ぱつと見に古い、共云へ無さゝうな、さう共云へる樣な、一寸何共云へ無い雰圍氣でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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足尾沢。 何故に鹿沼側で足尾なのかと思つたのでありますが、地圖を見ますと案外直隣と云つても良い位だつたのには驚きました。 |
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親柱内側に橋歴板が附られて居りました。 昭和卅八年竣功でありますね。 |
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足尾沢橋。 でも何故にと云ふ感じの名稱であります、足尾澤。 |
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高欄は分厚い混凝土に丸で首都高の樣な、其と
【日光市細尾町 幸橋】
の樣なと云ひますか、其な印象なのでありますが、之、元からの物なのか如何か判斷に惱みます。 若かしますと、土石流對策なのでせうか。 では左岸側へ移動致します。 |
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牀版途中から舖裝が盛られて居りますので、此方側の親柱は少し減込んだ樣に成つて居ります。 |
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昭和38年7月竣功。 之が當時物の姿の儘でありましたら、手荒くモダアンだつたのでは無いでせうか。 |
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あしをざわばし。 斯う云ふ處で製假名遣ひの面影を感じます。 |
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横から見ました處、混凝土T字、所謂RCTでありました。 時代的に牀版桁でも不思議では無い處にRCTでありましたので、何か見て得した樣な氣分でありました。呵呵 以上、御附合有難う御坐いました。 |