上三川町上三川 名稱不明橋四本 【一】

2680年 2月 3日 探訪

 扨、雀川用水には 【上三川町上郷 名稱不明橋】 の兄弟の樣な橋が一杯架つてゐるのでありますが、不取敢今囘は同樣の意匠をした物を四本紹介し度いと思ひます。

 して、先づ此方一本目は 【上三川町上郷-上三川 名稱不明橋】 依り七百米弱程雀川用水を下つた處に架る橋であります。

 一見してもし無く共、如何見ても上記二本の橋と同年代と思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。

 實は其手前にも一本橋は在るのでありますが、まあ堰と一體に成つてゐる物でありますので割愛致しますが、まあ今迄の物と同年代なのは間違無いでせう。
 親柱は無く、高欄の柱に銘板が附樣に成つて居りますが、銘板は御坐いませんし、何かしらの記名も御坐いません。

 何か、最初から銘板は附てゐ無かつた樣な感じでありますね。
 同上。
 高欄は鐵管を一本使用しました意匠であります。

 では右岸側へ移動致します。
 橋臺も簡素な感じでありますね。
 橋の近邊は石積の護岸なのでありますが、元々は全て石積だつたのでせうか。
 横から見ました處、牀版橋でありますね。

 スラブ形式と記した方が適切なのでせうか。
 二本目は百六十米程下つた處に架つてゐます。

 まあ同一形式でせう。
 唯、右岸下流側の護岸が混凝土塊團に成つて居りまして、而も普通の護岸の部分依りも高く成つて居ります。
 上流側は石積でありますのに。
 同じく牀版橋であります。
 三本目は三百米程下つた處であります。

 氣持銘板が附部分が小さく成つてゐるでせうか。
 此方から護岸は混凝土塊團に統一されてゐる様であります。

 若かして一、二本目とは工期が違ふのでせうか。
 同じく牀版橋であります。
 四本目は二六〇米程下つた處であります。

 銘版が附部分は三本目と同一でありますね。
 此方の護岸は完成された樣な姿に成つて居ります。
 牀版橋であります。

 護岸と橋臺に一體感を餘感じ無いのでありますが、多分元から斯う云ふ姿だつた樣に見受られます。

 して、大凡の竣功年代を航空冩眞に求めたのでありますが、矢張一、二本目が昭和卅九年以降四三年迄で、三、四本目は其以降四九年迄の樣であります。
道理で微妙に細部が違つた譯であります。
とは云へ、其程の年代の違ひは無く竣功してゐるのでは無いかなと、ほゞ同一の形態から推察致しました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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