2680年 1月 14日 2月 3日 探訪
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今囘紹介致します何本もの橋は、江川の橋を探訪した時に見ました物を纏た物であります。 して、此方は 【上三川町西木代 木の代橋】 依り二キロ程栃木縣道一五八號線を道形に南下し、其儘舊道を進んだ處、本郷小學校の四百米程手前側であります。 【宇都宮市平出町 名稱不明橋三本】 にも通ずる樣な意匠である事から、多分さう云ふ年代の橋だらうと云ふ事で取材し度譯でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から簡單に見て行き度いと思ひます。 因に、此方の地區は東蓼沼であります。 |
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立派な尖り方をし度親柱でありますが、多分其部分は後年に成り補修され度のでせう。 其にしましても綺麗な造形であります。 |
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下流側を消失して居ります。 尤も、何かしらの乘物に乘つてゐると此程度の高さの物では見落して仕舞でせうから、致方無しと云つた處でせうか。 |
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ほらね、左岸側の親柱とは笠石部分が全然違ひます。 舖裝が結構盛られてゐて高欄と云ふか地覆と云ひますか、其意匠が埋れてゐて良く見えません。 |
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成程、斯う云ふ高欄の意匠でありますね。 して、當然の如く牀版橋でありますが、橋長が短いからか、隨分と薄いであります。 橋臺の姿と護岸の樣子から察しますに、護岸は後年に成つてから整備され度のでは無いでせうか。 |
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御次は先程の橋から四百米程南下し度處、本郷小學校東側の位置に架る橋であります。 基本同一形状でありますので細い冩眞は割愛致しますが、矢張護岸は架橋當初は土の儘だつたのでは無いでせうか。 多分。 |
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此方三本目は先程の橋から大凡八百米程用水を南下し度處、地圖上では雀川用水と表記されてゐる、栃木縣道一五八號線の東側を流れてゐる用水の橋であります。 一見しますと今時のガアドレイル高欄の橋でありますが、横から見た時の衝撃は中々の物であります。 |
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二徑間と云ふのも然事乍、元からの高欄を其儘に埋て地覆としてゐる事であります。 |
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まあ、堰も兼てゐる事から二徑間は仕方無い事でせう。 唯、堰として今でも使用されてゐるのかは案外怪しい雰圍氣であります。 |
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此方四本目は其直二百米程下に架る橋であります。 手荒く原型を保つてゐる樣に見えますので、此方でしつかりと見て行きませう。 先づは此方、左岸側からであります。 |
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牀版の上に載つてゐるので親柱と云つて良いのか如何か分りませんが、橋の流儀的、意匠的に欲しい物であります。 勿論、無記名であります。 多分、嚴密に云ふと町道何號橋と云ふ名稱は有るとは思ひます。 |
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併し綺麗な状態であります。 |
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高欄兼地覆は塊團状の物を竝べて繋げてゐるのでせうか。 では右岸側へ移動致します。 |
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奇跡的に痛みが無いでありますね。 |
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之で混凝土が綺麗でありまし度ら架橋直後にも見えて仕舞ます。 |
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横から見ました處、橋長が増えたからか、桁が厚く成つて居ります。 橋臺で桁の兩側、落橋豫防の爲に混凝土で埋てゐるのでせうね。 手荒く良い物が見られました。 |
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此方五本目は其百米程西側、雀川用水から分岐し度用水に架る橋であります。 |
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綺麗な親柱、と思ひまし度ら補強されて居ります。 何と無く高欄が塊團状だと云ふのが御分り戴けるでせうか。 |
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三連が基本形で、一つの物で橋長に合はせて調節する形の樣であります。 |
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して、多分此方が用水の原型を保つてゐるのだと思はれます。 |
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して、此方六本目は其支流を下る事二百米半弱、栃木縣道一五八號線を挾んだ西側に成ります。 可也原型を保つて居りますが、親柱部分が一本缺て居りますのが殘念であります。 |
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此方橋臺は其儘に護岸が整備されて居りました。 して、一連の橋でありますが、航空冩眞で見ますに昭和卅九年以降四三年頃迄に出來た樣であります。 多分、江川の河川改修と共に用水も整備され、圃場整備も成されたのだと推察致します。 多分何處かに其等を記し度石碑が在るのでせうが、殘念乍今囘は發見するに至りませんでした。 其と、他にも何本か同樣の橋が在ると思ふのでありますが、まあ之だけ見て紹介出來れば十分でせう。呵呵 まあ、良い物が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |