2680年 11月 10日 探訪
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此方は
【上三川町川中子 上落合橋ト舊橋跡】
の左岸側袂に在る舊道部分、井川に架る橋であります。 まあ誰が如何見てもほゞ廢道と化した部分でありますが、見るからに戰前物件と云ふ感じでありますので、見無いで如何すると云ふ處でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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此方は殘念乍無記名でありました。 |
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此方には何か情報が有りさうであります。 |
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少し掘つて見ました。 昭和六、若くは十と云ふ處迄は確認出來るのでありますが、之以上は中々長靴では掘れさうにも無いのと、不審者に思はれるのもアレでありますので斷念した次第であります。 でもまあ、多分遲く共昭和十五年頃迄の四月なのでは無いでせうか。 其以降は戰火が、ね。 |
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高欄も戰前物件らしい意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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うゝむ、何かを記してゐたのを混凝土で埋た樣に見え無くも無いでありますが、情報が得られ無いのは仕方が無い處でありますね。 |
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沖田橋。 おゝ、素晴しい。 橋名が分つたのは手荒く嬉しかつたであります。 |
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近附て撮りました。 嗚呼、混凝土の質感から、何と無く昭和十年代の物件かも知れ無い感じであります。。 |
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之はT字桁でありますね。 おや、橋臺手前に殘る物が御坐います。 |
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何と、此方の先代の物であらう材木が殘つて居りました。 と云ふ事は、多分大正や明治時代の材木の可能性も御坐いますので、手荒く凄い物が殘存してゐるなと云ふ感じであります。 と云ひますか、橋脚にしては橋臺に近接してゐる感じでありますが、如何云つた形式の橋だつたのでせう。 其に幅員も違ひますね。 嗚呼、勿論左岸側にも同樣に材木は殘つて居りました。 併し、木つて強いでありますね。 |
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因に、現在の道路との位置關係、高低差は斯樣な具合であります。 |
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斯う云ふ、普通に在つた物が何時の間にか無く成つてゐる事の方が多い筈の物でありますが、多分直隣の家の裏手の出入口が機能する爲に殘つてゐるのだらうと思はれます。 理由は如何有れ、斯樣に素晴しい物が殘つてゐて、其を見られたと云ふ事が手荒く嬉しかつた物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |