上三川町西蓼沼 下江川橋

2680年 1月 14日 探訪

 此方は 【上三川町西蓼沼 江川橋】 依り三百米弱程江川を下つた處に架る橋であります。

 此方もぱつと見に如何にもな年代、とは云へ昭和四十年代と云ふ依りも少し古く、西暦1960年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 しもいがわばし。

 「エガハ」なのに「イガハ」とは之如何に。

 とは云へ 【高根澤町平田-文挾 江沼橋】 の樣に「井沼川」なのか「江沼川」なのか、本來ならば何方が正解なのか判斷に惱む處も御坐いますから、「イ」と「エ」の發音の區別が曖昧な昔乍の方言表記なのかも知れません。
多分。
 下江川橋。

 成程漢字表記は當然斯うなのは分ります。
でありますが、兩側共に橋名表記と云ふのもアレでありますね。

 して、此方側は堤防部分を通行する車兩の爲の配慮が成されて居ります。
 親柱外側に橋歴板が附て居りました。
さう致しましたら此方、昭和四五年三月完成と表記されて居ります。

 でありますが、上三川町長壽命化修繕計畫を見ますと、昭和四四年架設と成つて居りますので、矢張年度末完成と云ふ意味での表記かと思はれます。
 高欄は混凝土板を斜に二本配置した意匠であります。
 排水桝。

 では右岸側へ移動致します。
 しもいがわばし。

 親柱、良く見ましたら笠石的な意匠が施されてゐるのでありますね。
 下江川橋。

 左右兩岸で對稱の銘板なのは良いのでありますが、河川名表記が無い儘でありますのは寂しい限りであります。
 横から見ました處、I桁一徑間の鈑橋でありました。

 唯、江川橋と橋長が一米程違ひ此方の方が廿五米と長いとは云へ、接合部が二箇所と云ふのが僅かとは云へ年代の違ひなのかなと思ひました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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