上河内村今里 御用川橋

2673年 7月 1日 探訪

 此方は御用川が西鬼怒川から分岐して四百米程進んだ處、 【水仙橋】 から七十米程西進した處に架る橋であります。

 今から廿五年程前には散々通つてゐた橋なのでありますが、其時には大して氣にも留めて居りませんでした。

 だつて、當時は未だ未だ何處にでも架かつてゐる普通の橋つて印象だつたのでありますから。

 其と、西鬼怒川依り小さい橋と云ふ事で別段印象に無かつたのでありますが、さう云へば水仙橋と意匠が似てゐるかなとふと見て思ひ、 改て結構な年代物だと氣附ましたので、きちんと冩眞に收めた次第であります。

 では此方、右岸側から見て行きませう。
 御用川

 先づ見た瞬間、銘板が附てゐる事に驚きました。
此程度の用水の架る橋に銘板が附くと云ふ事と、と云ふ事は、結構な古物件なのでは無からうかと云う二つの思ひが驚きの理由であります。

 して、御用川と成つてゐる事から、之は河川的にも單成る用水では無いと思つた次第であります。

 其に、銘板の意匠も一般的な昭和卅年代や四十年代の物とは違ひますね。

 若しかして結構な年代物件なのでせうか。
 御用川橋。

 ええと、此銘板はエツチング手法で作られてゐると云ふ事でせうか。
取附方が結構アレな氣がし無いでも無いでありますが、まあ人間が遣るのでありますから是で十分でせう。

 因に御用川でありますが、大雜把に書きますと、宇都宮藩への物流を擔つてゐた河川ださうでありますね。

 あれ、確か西鬼怒川もさうだつた樣な氣がするのでありますが。
まあ、ええ。
 高欄はまあ、普通と云ふ言葉以外拙には出て來ませんが、さう云ふ物だと思ひます。

 一寸頼り無ささうな印象が致しますが、まあ、多分ガアドレイル高欄が出來る以前の物件だと云ふ事なのだと思ひます。

 牀版の上には現在舖裝が盛られて居りますが、多分元々は混凝土剥出しの儘だつたのでは無いかと思はれます。

 多分、舖裝は道路の勾配を緩和する爲なのだらうと推察致します。

 では左岸側へ移動致します。
 昭和三十五年三月竣功。

 いやはや、西鬼怒川の數多の橋依りも十年以上古い橋でありました。

 否、でも待てよ、と云ふ事は此方御用川の方が西鬼怒川依り前に斯う云ふ流れに成つてゐたと云ふ事でせうか。

 と、ふと疑問に感じて航空寫眞を確認しました處、成程、確に昭和廿二年の時點で此方の橋依り下流側は現在と同樣の姿だと確認出來ました。

 唯、此方依り上流側は西鬼怒川の改修に伴つて整備し直されてゐる樣であります。
 ごようがわばし。

 まあ年代からしてさうなのでありますが、何か字音假名遣ひが不思議な感じが致します。呵呵

 と云ひますか、現在とは違ひちやんと濁りを使用してゐるのが良いでありますね。
多分是が廿一世紀でありますと、變にアレ等に影響されて「ごようかわはし」等と書換さうで氣持惡いでありますから。

 其と、一寸氣に成りますのは、銘板取附の法則から致しますと、橋名の附てゐる位置が逆なのでありますよ。

 此寫眞は左岸上流側でありますが、教はつた法則から致しますと、管理者と云ふか管理所の所在地に向て、左岸側の近い方に橋名、 反對側に河川名と附まして、右岸側は其逆に成ると教はつたのであります。

 さう云ふ法則から致しますと、此橋の管理所は上流側に在ると云ふ事に成る、若しくは其法則が適應される前の物件、 若しくは右岸側と左岸側が逆に成つてゐるかの何れかだと思ふのでありますが、此方は上河内村道の筈なのでありますから、一體如何云ふ事なのでせう。

 して、ふと思ひましたのは、上河内村役場、若しかして移轉して今の位置に成つたのでせうか。
 横から桁を見た冩眞を撮忘れて居りましたので、後日撮直して來ました。

 桁的には混凝土桁でありますね。
厚みからしまして、多分T字桁だらうとは思ふのでありますが、實際の處如何なのでせうか。

 併し橋臺部分が見物でありますね、まさかの石積に成つて居りましたとは。
 と云ふ事は、一つ疑問なのでありますが、此方が架橋された頃迄は、多分護岸は石積だつたと思ふのであります、普通。

 でありますから、混凝土護岸と云ふ事は、後年に成り改修されたと見て間違ひ無いと云ふ事なのでせうか。

 とは云へ、發電所の導水路等々、色々とアレでありますから、橋の架替で此處だけ石積にした、と云ふ事も有得るのでせうか。

 ううむ、謎であります。
 扨、さう云ふ疑問を抱きつつ國道二九三號迄出て來たのでありますが、其答へに成る樣な石碑が見附りました。

 國道二九三號の御用川の橋、新川橋の袂に在つた石碑なのでありますが、御用川改修工事記念碑でありました。
而も、昭和十二年一月建立の物でありました。

 まあざつと讀ますと、此年迄に改修して斯樣な姿に成つたと云ふ事でありますから、當時物混凝土護岸と云ふ事で良いのでありますかね。

 併し此石碑の面白い事には、ちやんと假名混りで書かれてゐると云ふ事であります。
大正頃迄の漢文的表記とは違ひ、實に解讀し易い石碑でありました。

 一寸話は脱線して仕舞ひましたが、御用川、治水に懸ける熱い魂を感じる事が出來ました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る