上河内村上田 名稱不明橋 【其二】

2673年 9月 24日 探訪

 古橋や舊道探索をしてゐる時、何と無く、ふと此方に行かうと思ひ向ひますと、待つてゐたかの樣にさう云ふ物件が出現する時が御坐いますよね。
今囘はさう云ふ物件であります。

 扨、此方は御用川の支流に當る用水に架る橋であります。

 以前に紹介しました此方、  【上河内村上田 名稱不明橋 【其一】】 から三五◯米程下流側の邊と云へば良いのでせうか、さう云ふ場所の橋であります。

 ぱつと見には金網が高欄に成つてゐるだけの何と云ふ事は無い橋でありますが、良く見ますと其外側に可愛らしい混凝土の高欄が附てゐるでは御坐いませんか。
當然、慌てて自轉車を止て冩眞撮影開始と相成つた譯であります。

 では、此方左岸側から見て行きませう。
 まあ、規模的に餘り期待はして居りませんでしたが、御覽の通り無記名でありました。
 上流側も同樣でありました。

 勿論右岸側も同樣でありましたので、割愛致します。

 併し交通量が少いからでせうか、親柱は至つて綺麗な状態であります。
 桁は多分、單純桁と云ふ形式だらうと思はれます。

 其と、之は昭和四十年代的な特徴の桁でありますね。

 して、親柱は如何やら省略されてゐると云ひますか、橋臺側では無く桁の方に附てゐる、"其的な役割の柱"の樣な物で代用されてゐると云ふべきなのでせうか。

 併し何か、橋臺が不思議な事に成つてゐる樣な感じであります。
 此方右岸側から見た方が分り易いでせうか。

 何かですね、パイル形式の橋臺だと思つたのでありますが、如何やら之以前の橋臺に附足樣な感じに成つてゐるのでありますよ。

 して、では竣功年は何れ位の年代だらうと航空冩眞を見たのでありますが、多分、如何やら昭和卅八年から昭和四三年の間に現在の姿に成つてゐる樣であります。

 と成りますと、戰前物件の地覆や高欄を削り、附足て擴幅したのかも知れ無い共推察致しましたが、さうでは無く、古い橋臺の外側にパイル形式の部分を附足、 以前の橋臺も其儘活して桁だけを新規に架けたのでは無いかなと云ふ推察も出來るのであります。

 まあ、何れにしましても、良く見れば一寸獨特な橋臺を持つた素敵な物件だつたなと云ふ感じでありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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